176 名前:甘い昼食[sage] :2005/10/16(日) 00:17:55 ID:an0r9I7c

 私の彼女、榊。美人で背が高くて頭も良くておまけに運動もできる。
静かで近寄りがたいけど、それが逆に女子の間で結構な数のファンができた、らしい。
こうして見ると非の打ち所がない、完璧な人間だ。私もそう思っていた。いや、今でも
そうだ。そうなんだけど、付き合ってみて分かった。こいつは…その、何ていうか変だ。
私じゃ上手く言えないけど、時々突拍子もない事をしでかして私を振り回す。あの、榊が。
…う〜ん、信じられないかな?例えば…そう、これは私が虫歯を病んでた時の話だ。  

 

 

177 名前:甘い昼食[sage] :2005/10/16(日) 00:23:12 ID:an0r9I7c

 「神楽。はい、これ…」
「いつもありがとな、榊」
榊はピンク色の大きなハンカチに包まれた弁当箱を私に手渡した。
一応言っておくが、私が榊に自分の弁当をわざわざ預けていたわけじゃない。
私の弁当…いや、正確にいうとこれは私の"分"の弁当ってことになる。
つまりこれはそう、榊が私のために作った手作り弁当ってやつだ。
最近学食や購買のパンで済ますことが多い私の栄養管理を気遣って、榊は週の半分は
私のために弁当を作ってきてくれるようになった。そしてその日は決まって人目に
つかないように屋上へ行く。クラスの奴、特に智なんかに見られたら何を言われるか
わかったもんじゃないからな。
「今日のは特に自信があるんだ」
榊は私の隣に座り、自分の分の弁当を取り出した。
「ほら、神楽が好きなエビフライ。うまく焼けてる」
榊は嬉しそうに今日の弁当の内容を語り出す。そんな榊を見ていると私まで何だか嬉しくなってくる。
…まぁ、今の私はその嬉しさを実感する余裕はないけど。
「へぇ、美味そうだな」
弁当の蓋を開けると、綺麗に配置されたおかずが目にうつる。
「でもさ、本当に早起きして二人分も弁当作って疲れないの?」
「ううん、そんなことはない。神楽が食べてくれるから、その、楽しい」
言って、榊はすこしだけ顔を赤らめる。私もそうなった。嬉しさ半分、恥ずかしさ半分だ。
(…っ!)
そんな心地良い気分もつかの間、右の奥歯から鈍い痛みを感じた。というか、忘れていた
のを無理やり思い出させられた。この、ほとんど落ち着く時を与えない程に私を憂鬱にさ
せている原因が今朝になって自己主張を始めた下の右奥にある虫歯であり、今私が直面し
ている幸せであるはずのこの状況をピンチへと一転させている張本人でもあった。  

179 名前:甘い昼食[sage] :2005/10/16(日) 00:25:06 ID:an0r9I7c

 歯が痛いと空腹であっても何かを食べる気はしない。実際に私は朝食を食べられなかった。
だけど今の状況はどうだ?隣には私の反応を楽しみにしているであろう榊が、私が箸に口
をつけるのをじっと待っている。虫歯だから食べられないなんて言えるもんか!
いやいや。そもそも私のために榊が一生懸命に作ってくれた弁当を食べないなんて、
そんなことをできるはずがない。はずがないんだけど…‥でも、歯はすごく痛いのだ。
「…どうした?」
「え!?な、何が?」
「弁当見つめながら怖い顔してるから…。嫌いなものでも入ってたのか?
それなら残してくれても…」
榊の言葉に我に返った私は慌てて首を振った。
「違うよ!あんまり美味しそうだからみとれちゃってさぁ!やっぱ榊って天才だよ!!」
「そ、そんなことは…」
榊は頬を染めて否定しつつもまんざらでもなさそうだ。
実際榊の弁当はおかずも多く、どれもかなり美味い。それに栄養のバランスも考えられて
作ってくれてることがよく分かった。そういう所に榊の真心ってやつを感じる。
そんな榊の弁当を虫歯ごときに邪魔されるのは癪だ。
そうとも…絶対に食べてやる。
「…神楽。そんなに強く箸を握ったら折れてしまうぞ」
「え?あ…そ、そうか。……じゃあ、いただきます」
覚悟を決めて箸を持ち直すと、私は先ずは榊おすすめのエビフライへと箸をのばした。 

180 名前:甘い昼食[sage] :2005/10/16(日) 00:27:19 ID:an0r9I7c

 とにかく健康な歯だけで噛むようにすればいいんだ。大丈夫。ちょろいもんさ。
そう自分に言い聞かせて私はエビフライを口に入れて左の奥歯だけを使って噛みしめた。
「どうかな…神楽?」
榊が不安と期待の入り混じったような声で遠慮気味に尋ねてくる。
言うまでも無く絶妙の美味さだ。シャキシャキの衣の中に柔らかな海老が包まれていて、
噛むたびに閉じ込められていた海老の旨みが汁となって口いっぱいに広がる。
私は感動して榊に心からの賛辞を送ろうとした。
「うん!おい…ひぃあっ!!!」
それが迂闊だった。まだ口の中にエビフライが残っていたのに返事をしてしまい、
見事に虫歯で噛み砕いてしまった。衣が歯肉と擦れてしまって痛みのあまり意識が
飛びかけた。弁当を持つ手から力が抜けそうになった、けど。
「あうっ!!」
痛さでもんどりうった私はさらに鉄柵で後頭部をしたたかに打った。派手な音が頭に響く。
その衝撃で意識は強制的に戻された。頭の中で大きな釣鐘をぐあんと鳴らされたみたいに、
振動が身体を震わせる。おかげで弁当を落とすことはなかったが、目から熱いものがこみ上げて止まらなかった。
「………」
榊は呆気にとられて、弁当を必死で抱えながら身悶えしている私を見ている。突然のことに言葉が出ないようだ。
二人だけの穏やかなお昼は一変した。気まずいともいえるような妙な沈黙が私達を包む。 

181 名前:甘い昼食[sage] :2005/10/16(日) 00:28:46 ID:an0r9I7c

 「だ、大丈夫か?」
ようやく榊が私を心配し始めた。頭を軽くさすってくれる。
「…はは、へーきへーき」
頭の痛みはひいてきたけど歯の痛みは治まりそうにない。それでも場の空気を戻そうと
もう一度箸を伸ばした。だけどその手は榊につかまれてしまった。
「…神楽。本当はどこか体調が悪いんじゃないか?さっきから様子が変だぞ」
「やだな。何でもないってば」
引きつった顔で笑う私を榊は訝しげに見ている。信じてない。榊はこれでかなり鋭い。
嘘が下手だ、と皆に言われている私なんかなおさら見抜きやすいのかも。
「本当のことを言ってくれ。じゃなきゃ…食べさせない」
榊は私の腕を強く握り締めた。その顔は結構マジだ。これ以上誤魔化そうとしたら、
かえって榊を怒らせてしまいそうだ。
榊の剣幕に圧され、私はついに白状することにした。
「あ〜、実はさ……」
仕方なく私は口を開いてみせた。榊が軽く首を傾げた。
「みいひた」
と言って右の頬をちょんちょんとつついた。
「…そういうことか」
榊は覗き込んで納得した顔で頷いた。それから呆れた顔になって溜め息をついた。
「まったく…それなら早く言ってくれればいいのに。神楽はいつも変なとこで意地を
張るんだから困る」
「ご、ごめん…」
私は頭をかいて小さく謝った。  

182 名前:甘い昼食[sage] :2005/10/16(日) 00:30:37 ID:an0r9I7c

 「じゃあその弁当をこっちに渡してくれ」
「やだ!」
私は弁当箱を持ったまま、取られまいとそっぽを向いた。
「…何言ってるんだ。そんな状態で食べられるわけないだろ」
「…食べる」
榊はまた大きく溜め息をついた。それから子供を諭すような言い方で優しく話しかけてきた。
「神楽。弁当はまた作るから、別に無理して食べなくてもいいんだ。私は気にしない。
それよりも、神楽の虫歯の方が心配だ。だから…」
「そんなんじゃねえ!」
わかっていない。私は言葉を遮って、榊の顔を見つめた。
「榊が私のためにせっかく作ってくれた料理が無駄になるのが我慢できないんだ!
だから榊の料理は私に虫歯があろうが盲腸になろうが絶対に残さず食べるって決めてる!!」
私は榊の前で拳をつくり大きな声で宣言してやった。
榊はそんな私を見てぽかーんとしていたけど、しばらくすると口を手でおさえて珍しく
くすくすと笑い始めた。
何で?私は大真面目に言ったつもりなのに。
「…なんだよ。何がおかしいんだ?」
「いや…神楽らしいな、って。私は君のそういうとこに惹かれたのかもな」
「きゅ、…急に変なこと言うな」
思わぬ不意打ちに、私の顔が熱くなってく。榊は肩を小さく震わせてまた笑い出した。  

183 名前:甘い昼食[sage] :2005/10/16(日) 00:34:30 ID:an0r9I7c

 「わかった。それなら食べてくれ」
榊は私と肩がくっつく距離までつめてきた。榊の体温が制服越しに伝わってくる。
「それで次は何から食べるんだ?」
「え?あぁ…玉子焼きかな」
「玉子焼きだな」
「あ」
榊は頷いて私の弁当から玉子焼きをひょいと取り出して自分の口に放り込んだ。
私の方を向いて見せつけるようにもぐもぐと食べている。
「何すん…んぷ!!」
榊に抗議しようとした次の瞬間、榊は私の顔をいきなり掴んで唇を合わせてきた。
「!?…んん!…んぐ……」
合わせた唇から噛み砕かれてどろどろになった玉子焼きが流し込まれてくる。突然の異物
の侵入に戸惑ったが、反射的に私はそれを飲み込んでしまった。
榊はそれを確認するとゆっくり口を離した。
「どうだ?美味しかったか?」
榊は至近距離から感想を聞いてくる。急すぎて味わう余裕なんてなかった。
「な…な…お前……今何を」
「だって、これなら神楽も虫歯を気にせず食べれるだろ?」
あまりのことに混乱している私に榊はしれっと言ってのけた。
「…いや……だ、第一だな。ここ、学校だぞ。誰か来たらどうすんだよ!」
慌てふためく私とは対照的に榊の態度は平然としたものだった。  

184 名前:甘い昼食[sage] :2005/10/16(日) 00:36:41 ID:an0r9I7c

 「そうだな、急いで食べないといけない。次は何がいい?」
「は…あ、あぁ…う〜んと。じゃあそのたこさんウインナーで…っておい!私の話を…」
と言ってる間に榊はすでにウインナーをもぐもぐと食べている。
「…聞けよ」
口をとがらした私を、榊は口を動かしながら不思議そうに見つめた。
何か不満でもあるのか?と言わんばかりだ。
確かに噛まずに榊の料理が食える良い方法かもしれないけど、普通ここまでするか?
「ん」
榊は私の顎を右手で持ち上げるとまた顔を近づけてきた。
こんなことを榊にされては抵抗できない。仕方なく目をつむって口を少し開けてやると
榊の唇の柔らかい感触が伝わってきた。
「ん…くちゅ……」
結構な量の唾液とともによく溶かされた肉の液体が私の口に流し込まれてくる。
唾液の絡み合う音が頭の奥から響いてきて、だんだんと視界が定まらなくなってきた。
「まだたくさん残ってるんだからね」
耳元で榊が囁く。

こんな食べさせ方ではやはり何を入れられても料理の味なんてよく分からない。
だけど…ひどく甘い痺れが舌先に残っている。虫歯の痛みすら麻痺させる、ひどい甘さが。
この味は知っている。分かる。私の大好きな独特の甘さ。それは、榊とするキスの味覚だ。
やみつきになるようなこの感覚は忘れようもない。身体が覚えている。
何度でも、味わいたい。そう思った時に、私は無意識に自分の唇を舌で舐めていた。
まだ少し榊の味が残っている。  

185 名前:甘い昼食[sage] :2005/10/16(日) 00:38:12 ID:an0r9I7c

 「ん…あん……んむ」
もう何度目かわからなくなった口付けに私は完全に夢中になっていた。
温かな液体が注ぎ込まれる度に腰に力が入らず、倒れないよう必死で榊の腕を掴んだ。
何を食べさせてもらっているかなんて分からない。
ただ榊から与えられる甘い快感を自分から欲して、味わった。
榊は一口一口をゆっくりと流し込んできて、私がそれを飲み終えるまで口付けを止めない。
「こんなに喜んでもらえるのは初めてだね」
榊は満足に身体を支えられなくなった私の腰に手をまわしながら、もう片方の手で器用に
おかずを取り出している。
「たまらないって顔してる。…そんなに美味しいのか?」
榊の声が、遠くから聞こえてくる。その響きは何だか楽しそうだ。
結局榊の思い通りになってしまったのかな。別に嫌ではないけど、やっぱり悔しい。
こっちだって少しくらい榊を驚かせてやりたい。
そう思った私は次は榊の口移しが終わっても頭を掴んで離そうとしなかった。
「…んん…?」
ひとしきり口の中で味わってからもう一度榊の口へと押し返してやる。
まさか自分もやられるとは思ってなかったのだろう。榊は目を丸くして喉を動かした。
「へへ…。やられっぱなしは性に合わないからな。お前にもお裾分けだ」
ちょっとだけ得意げになった私を見下ろして、榊の瞳は射る様な光を放った。
完全に火をつけた合図だ。
弁当の残りはもう僅か。次でもう最後だろう。
榊はその最後の一口を放り込むと、体重をかけて荒々しく唇を奪ってきた。
「ふぐ……ぅむ…」
今度は最初から榊は執拗に舌を絡めてきて私の口内を思うままに蹂躙してくるので
私がその最後の一口を飲み終えるまでずいぶんと時間がかかった気がした。
それでも榊は私の両肩に手を置いたまま、角度を変えてより深い口付けを浴びせてきた。
これじゃ榊が私に食べさせてくれるというより、私が榊に食べられてるみたいだ。 

186 名前:甘い昼食[sage] :2005/10/16(日) 00:40:20 ID:an0r9I7c

 息苦しさに眩暈を感じ始めてようやく榊の顔が離れた。
私達の口からは沢山の銀色の糸が複雑に絡み合って伸びていたが、やがて重力に引かれて
ぽたぽたとコンクリートの地面にシミをつくっていった。
「はぁはぁ…」
肩で息をする私に榊は濡れた唇を拭いながら残念そうに呟いた。
「…今ので、おしまいだ」
そう言って空になった弁当箱を私に示してみせた。
私は息を整えて榊の指を軽く握った。
「も、もう弁当はいいからさ…榊…私……っ」
もう我慢できなかった。私の身体は熱く疼いて榊でなければ鎮められそうにない。
ここが学校なんてとっくにどうでもよくなっている。
「神楽…」
榊も私の状態を理解したようだ。ゆっくりと私に手を伸ばしてきた…けれど。

 キーンコーンカーンコーン

無機質な機械音が無情にも昼休みの終わりを告げた。
「あ…」
私たちはしばらく硬直したまま見つめ合った。そして榊は手をさっと私から引っ込めると
てきぱきとした動きで弁当箱を片付け出した。
「ごめん神楽。時間切れのようだ」
「そ、そんなぁ…」
泣き出しそうになる私の頭を榊は優しく撫でた。
「続きは私の家だ。それまで…我慢してくれ」
ここまでしておいてそれはひど過ぎる。これなら虫歯の痛みの方がまだマシだ。
そう思うが真面目な榊が授業をさぼってまで相手をしてくれることはないだろう。
何とか我慢するしかない。私は渋々立ち上がろうとした。が。
「………」
「どうした、神楽?もう予鈴は鳴ったから早く…」
「…腰が抜けて立てねぇんだよ」
ふてくされながら右手をつき出すと、榊はにっこりと微笑みながら私の手をとった。  

187 名前:甘い昼食[sage] :2005/10/16(日) 00:43:02 ID:an0r9I7c

 「…甘いものも虫歯に効く時があるんだな」
「え?」
「歯の痛みはなくなったよ…おかげ様で」
「ああ…」
「…何だよ、その顔は…」
「それなら…神楽の虫歯がよくなるまでずっと私が食べさせてあげようか?」
「…」

毎回あんな調子で食べさせられたら身体の方がもたない。
とも思ったけど、言葉ではっきり拒否できなかった。
私の口の中にはまだ榊の味が残っている。冷めかけていた体がまた少し疼いた。
私の肩を支えている榊の体温も、熱い。これは絶対に気のせいじゃない。
多分私も、そして榊だって癖になってしまった。いいや、もうなってるんだ。
だってやっぱり期待してる。ホントはまた榊に食べさせて欲しいんだ。

あの、甘い昼食を。

(終)

 

 

 

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