「でも……! でも……私は、学校終わってすぐに、だなんて言われてない……! 今から上映なら七時くらいにまたあるかも……しれないし……」
「いい加減にしろ!! もう許さねえ!! 絶体行かせねえからな!! 今日、榊は、私と、今から、映画に行くんだ!! ……ホラ! さっさと来い!!」
「い、い、いやだっ……!! 私にだってしたいことはあるんだ……!!」
「うるせぇ!! ぶん殴るぞ!? オラ来い!!」
「わ……私は、七時に神楽と映画を見るんだ……! 放せ……!」
――バキィ!!
「うあぁ!! あ……か……神楽……?」
「……フーッフーッ!! こ、殺してでも連れて行くぞ……!!」
「う……うあ……? か、神楽……? ……あ……?……ぁああああっ!! じじじじ、時間が、ない!! ……そこをどくんだ、神楽!!」
「……どかせるもんなら、やってみろよ!!」
今に至る
今いるのは学校から少ししたところにある公園の前、ここから駅前の本屋までは凡そ3km、まだすこし時間には余裕がある。
だが、この状況……私が全力で走って神楽に勝てるのは1kmまでだ……今走れば確実にそこで詰められてしまう。そうしたら、体力に差があるぶん、疲れた私のほうが弱くなってしまう。
弱くなる、それはつまり負けること、負けることは駅前まで辿り着けなくなることだ……それだけは絶体に避けなければならない……絶体に、だ。
つまり、ここで神楽を動けなくする以外、私に手はない。
「神楽……そこをどくんだ、このままだと私は……私は、力で神楽を押さえ付けるから……」
「ハッ!! 力で……? その言葉、そっくりそのまま返してやるぜ……!!」
「フゥ……仕方がないな……本当はこんなことしたくなかったんだけど……」
「そんなことよりアンタは身体の心配したらどうだよ……? 帰りがけの高校生たちがいても……ここには、私がアンタを殴るのを止めるよみやちよちゃんはいないんだぜぇ!!」
「……止める……か……その言葉そっくりそのまま返す……」
「……フン!」
空気が変わった。私達の周りには爽やかな夏場の空気など近よりもしないようだ。まだかいてもいない汗と、「まだ」でていない人間の血液の匂いが中天に充満するように感じられる。
もう言葉なんていらない世界に来たようだ。
――ジリ……ジリ……
神楽がゆるやかに近づいてくる……狙いは……突き技だろう……。
流石の神楽も、ダメージのない状態の私に、大きなスキをつくる蹴りや投げなど仕掛けてこないだろう。飛び技もない、いくら地面が土とはいえ、乾いた地面に身体ごと着地したら只では済まないことはわかっているはずだ。
突き技がくるなら、左なら右、右なら左に避けて避け方向の足でローキック……理論上必ず決まる……
私には神楽の行動を先読みができる。はっきりいって神楽の考え方は単純だ。先読みすることは全く難しいことじゃあない。
同じような身体能力の者同士で片方だけが先読みできるってことは、完全に有利この上ない……神楽は、この私に僅かな出血をも、もたらすことができないだろう……
私のほうが……有利……一方的……フッ……!
――ジリ、ジリ
5m……3m……さあ、来るんだ……私には神楽の全てがわかるよ……クククッ、ククククッ!! 嗚呼、なんて快感だろう……!! 私には神楽がなにをするかわかる……私には神楽に何でもできる……
クククッ!! この優越感……なんて快感……!! 私、変態なのかな……いつもよる遅くまで起きて、テレビでプロレスリングやボクシングを観て……
(ああ……そこでフェイントをかけたらストレートを合わせられるじゃないか、私にはわかりきってるのに……なんて愚鈍で低劣な知能だろう……)
そんなことを感じて、私よりずっと才能のない人間が一丁前に戦っているのを見て……私の優れた才能に……『感じちゃってる』……変態なのかな……クククッ……!!
――ザッ!!
神楽が両足で地面を蹴り込んだ、ファーストコンタクトがいま始まる。
さあ……その低劣な頭脳で考えた結果、しかけてくるんだ……!!……私が美味しく料理してあげ……え……? ……「両足」……? ……両あ
――ドカァ!!
「くあぁ!! て……低空ドロップ……!? そんなまさか……!!」
神楽は「両足」で蹴り込んだのだ。飛び技以外にあり得ない。しかし榊の思い込んだ考えはそれを理解させるのを数瞬拒ませた。
中空で身を1回転捻らせた神楽の繰り出した低空ドロップキックは見事に榊の膝をくじかせた。その結果榊は、仰向け倒れた神楽の上にうつ伏せで身をあけた。
「まさか、私がなにも考えないで戦っていると思ったのかぁ!! 傷つかない戦いなんてあるか!!」
「あ……ああああああ!」
神楽は単純で考えが浅い……否!! 「本当」の競技者は戦い、競技においてのみ普段使われない脳をフルに使うものだ……
……これは、確実に地面に身を打つダメージより私に与えるダメージのほうが大きい……なんて失策……なんて……屈辱……そして、私が神楽の少し上に多い被さるこの形……この形はあぁぁ!!
そう、そうだよ榊ぃ……!!
きれいな腹ががら空きだぜえぇぇ!! いますぐ、眠るような気持ち良さを感じさせてあげるぜぇ!!
――ド、ドスッ
「く……かはぁ!!」
神楽の拳が榊の腹に二発突き刺さった。
破壊力=握力×速度×重さ……神楽の握力は女子にしてあらず……45kg……力を込めない握らない状態から繰り出される拳の速度は彼女が出せる完全な速度……地球を背にした重さ……完全なものがあった。
「あ……ああぁ……」
榊は四肢を付いて伏せた。強烈な痛み、敗北の音が耳鳴りのように響く。その中でゆっくりと神楽が立ち上がるのが見えた。
公園の近くには人が集まってきた。
「おいおい榊……観衆が集まってきたぜ、これじゃ私が榊をいじめてるみたいじゃないか……なぁ……?」
黒い……黒いんだよ……私の中……いつだってそうだよ。
県内に水泳で私に勝てるやつはいない、だから私は県大会で当たり前のように勝つ。私より小さい頃から努力してきた人間に。
そしたらさ、プールサイドで泣くんだよ、そいつ。みんなに慰められて、観客に「よく頑張った」なんていわれてさ。
それ見ててさ……気分がいいんだよこれが……! 一人でするオ○ニーなんかよりずっと……なんでかわかんないけどさ、あの涙……なんでかわかんないんだけど……気持ちいい……!
嘲り笑い、誰にも悟られないようにしながらトイレいって笑うんだよ……黒いよな……残酷とか冷血とかひっくるめてさ……アハハハッ!!
――ブンッ グシャァ!!
今度はアンタがわらわせてくれよぉ……榊ぃ……!!
「けはぁ!!」
「ハッ!! アハハ、アハハハッ!!」
顔面を蹴り込んだ音だ。四肢を付いた状態から榊は一度、上に身体を反らして、それから無抵抗に地面に完全にうつ伏せとなって動かない。さらに榊の口や鼻から出た血が、地面を染めていく。
沈黙の中に神楽の嘲いが響いた。観客も当の相手も声をだすことすら叶わない。公園が沈黙で支配された。
だが 長くは 続かなかった
――ズッ ズズッ
「あ……ああ……」
静かに地面につたっていた血が徐々に、波紋をつくる。榊が立ち上がる故に。
……榊は戦う力を残していないはずだ、そうやって私の足元に追いすがることしかできない……アハハハハッ!! どこかの誰かみたいにさぁ……!! ああ……気持ちいいよ榊……凄く気持ちいい……
無意識に神楽は、膝立ちで自分の腰にすがる榊の頭を、スカート越しに、自分の股間にすりつけて、腰をくねらせていた。虚ろな目をした榊は全く反応をしない。
それこそが完璧な勝利の証であるかのように、勝利の、妙味……快楽を露に身体でしめしていたのだ。
――バッ
榊は途端に、足を膝立ちからしゃがみに切り替えた。死んだような目が生きかえっていた……!
「な……なぁ!? バ……ちょ……ちょっ……嘘だろ!?」
――グァ……ドッ……!!
完全に油断していた神楽。それを榊は両手を腰に回して固定したまま、ブリッジの姿勢をした。
つまり、フロントスープレックスの形になるわけだ。
マットの上のプロレスラーでも辟易する技、こんな小さな少女が、乾いた大地を相手に耐えきれるわけがない……確実な破壊が今おこった。
顔面血だらけの榊の耳に、形のない試合終了のゴングが聞こえた。
《続》
悲しいけど、これって、現実だから……君は何をしても私に勝てない……だって君は才能もなくて知能も低くて、そのくせ自分の身体能力に思い上がって、どこに勝期があるっていうんだ……?
「私は神楽より頭がいいし、私は神楽より身体能力が高い。それなのに、いつものように『なんとかなる』なんて考えて私に勝負を挑むなんて悲しいよ……? 浅はかだよ……?」
クククッ……ほら……どんどん堕ちていくよ……絶望と後悔の深淵に……どんな気分なのかな……? 私は気持ちいいよ……私はとても気持ちがいい……
「あ……ぐぁ……かはっ……!」
起きないほうがいい……これ以上自分の自身やプライドを消されても、生きていけるのかな…… ククククッ……!! ああ、私より弱いモノが堕ちていくのは「楽しい」なあ……クククッ!!
少しずつ、それこそスローモーションのように神楽は膝をついて立ち上がる。それはレベルの低すぎる主人公が魔王に挑むような……非情なコンピュータのCPUに負ける……そんな光景を見ているようだった。
「ひ……人と満足に話もできない奴が……くっ……ここぞとばかりに才能自慢か……ああっ……!! あっ、アハハハ……笑っちまうな…
その瞬間……氷付いた……空気が……。
まだ神楽は見ていない、榊の目が、何十といる観衆を黙らせたのだ。
氷のように冷たく、人間のそれとは思えない瞳が。
「……言ってはならなかった……」
榊が言うまでもなく、誰もがそう思った。瞬間、榊が、サッカーボールをけるようなモーションを起こした。神楽の顔面めがけて……
――ズァッ
……君は……言ってはいけないことを今いった……私の唯一の、コンプレックスを……。
一人で何が悪い。友達がいなくて何が悪い。クラスで浮いてて何が悪い。休日に誰とも遊びに行けなくて何が悪い。人に嫌われるのが恐くて何が悪い。淋しくないふりをするのの……何が悪い……!!
私は君みたいに低劣で気楽な考えを湧せる馬鹿な頭脳を持ってはいないんだ……!! 君が馬鹿陽気になれなれしく、私に話しかけるような行動なんて私にはできない!!
だって、嫌われるのが恐いから……!! 一人は不安で恐くて……君にはわからないんだろう……!! 君みたいに……!!
全力の榊の蹴りが、神楽の頭を狙っていた。あくまで、狙っていたのだ。瞬間、神楽が頭を上げて、叫んだ。
「やっぱりアンタ……馬鹿だよ!!」
「フン……まだまだ楽しませてくれそうだなっ!! でもな、榊。それは完璧なチョイス・ミスだぜぇ!!」
神楽は榊の右足の蹴りを垂直飛びで完璧にかわした、さらにそのまま榊の空を蹴った足を捻り上げて「四の字」を作った。
この状態から繰り出されるべき技はわかりきっているであろうが、それが盲点だった。榊はプロレス技になど詳しくはないのだ。
「くっ……!!」
案の定、榊は身をおこそうとして腕に力をいれて身を持ち上げた。だがそのタイムロスの間に神楽は左足を榊の股にねじこみ、榊の左足を下に、腰をおろした。
「……地獄の痛みだ!! 榊、終わりだっ!!」
「……!?」
まだ自分の置かれた状況が確認出来ていない榊は、不幸にもまだ上半身を起こすことに神経をとられていた。
神楽が右足を榊の太ももにかけた……!
――ズキィ!!
「あっ!! !?……うあぁ……あああああぁぁぁぁ!?」
「分かる」読者はあの描写表現文だけでも、もうなんの技かおわかりであろう。通常の戦闘であれば、成功させるのは確実に超高難易度である「足四の字固め」である。
体験したことがあるならすぐにわかる「数十秒と耐えられない痛み」が下になる足の膝から脛にかけて走る。体験したことのない人間にとっては驚異的な痛みだ。
榊は、後者である。
「うああああ!! ああっ!! ……うっ……ううっ!!」
ひ……膝が……脛が……ああっ……!! な……こんな……なぜ痛いのかわからない……なんて……でも……痛い……!!
私の足が悲鳴をあげて……きしんでいるっ……!! 耐えきれない!! 耐えきれ……なあああぁぁぁ!! ど……どうにかしないと……どうにかしないとっ……!!
「榊……痛いだろ……? どうしようもないくらいにさぁ!! アハハハッ!! 楽しいねえ!!
こうやって……いつも無口で……私の話なんか聞いてんのか聞いてないのかわかんないようなアンタがさ……私の技で、嫌でも私を認識しなきゃならない状況ってのはさっ!!」
ここにはロープもないし、止めてくれる審判もいない……この状況からの返し技はねえ……だからよぉ……榊に……
私のだ〜い好きな榊に……激しくて死ぬくらい……私の存在を……浮き出して魅せれるんだ……!! こんなチャンス二度とねえだろうから……そう簡単に止める気はねぇぜぇ!
さあ……哭いてくれよ……!! 私を嫌と言うほど感じて、榊の憐れな哭き顔で私を魅せてくれよ!!
「あ……うううううう……!! えあぁぁぁ!!」
確かに、確かに返し技としてメジャーなのは、足四の字をつくられる前に両足を相手の首筋にかけて上体を持ち上げヘッドシザーズをかけること。
または、四の字にした股に相手が足を入れる瞬間に、相手の膝に体重をかけて折り曲げ、そこからSPH(スモールパッケージホールド)をかける、など随分ある。
しかし神楽は知らなかったのだ。マイナーながらも足四の字固め完成時に返し技があることを。
「うぁ……はぁああぁぁぁ!!」
――グルンッ!!
「え、あ……あ……!? ぐっ!! な! なんだ!?」
それは、反転だ。
やってもらえば分かるが、足四の字固めの状態から反転すると、完全にダメージが相手にいくのだ。マイナーな技法なのは、それ自体が難し過ぎるからだ。しかし完璧な有効打である。
榊が知っていてやった訳ではないが、神楽がこの逆関節技を知らなかったために決まったのだ。
「痛っ……!! ああっ……!! いてぇよ……!! クソッ!!」
「……? 痛みが和らいだ……これは……逆に……?」
「クソォォ!! あっ……まさか……ここまで読まれてたなんて……榊!! 笑ってんだろ……くっ…… あからさまに引っかかった私を……!! 悔しい!! うううぅ悔しい悔しい悔しい!!!!」
「うああああああ!!」
――バッ
逆関節がほどけた。二人とも攻撃体制に入った。しかし同時ではなかった。
――グッ!!
ダメージから一瞬反応の遅れた神楽の腹に軽い蹴りが入った。身体が反応していなかったために、神楽は腹に力を入れた。だが、力を入れる必要などないくらい軽い蹴りだった。蹴りが主体ではないのだ。
――ガチ
榊は蹴りを放った瞬間に軸足を神楽の後ろに回していた。その状態から……スリーパーホールドが決まった。無防備な首筋に決定的な決まり方だった。
「神楽!! よくわからないけど! これで終わりだ!」
《続》