622 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:11:40 ID:xz2CR20m

>>620
貼り付けます

14 :世界はじめて物語 1:05/01/09 20:59:54 ID:???
 朝、目が覚めると、ともがとも生物になっていた。
「ともー♪」
 私を見あげてかわいらしく鳴く。
 とも生物とは正式名称トモ類トモ科トモサピエンスという、二頭身の愛らしい生き物だ。
非常に活発に動き回り、夢と希望とバナナを食べる。
 隣で寝ていたはずの彼女が、なぜ一晩でこのような変化を遂げてしまったのか定かでは
ないが、時期を考えると一足早いクリスマスプレゼントなのだろう。
 この体型では、腕を組んで歩いたり、互いに抱きしめ合ったりできないのが残念ではある。
しかし、差し出した私の指先をぺろぺろと舐めている姿を見ると、等価交換以上のものを
得たのだと心から実感できた。
 喉をさすってやると、気持ちよさそうに目をつむって全身をゆだねてくる。やがて、
ころん、と仰向けになって「ともー♪」とお腹の方への愛撫もねだった。
かわいい。
座り直して、膝の上へ誘う。
 とも生物は小さな手足を動かして私のところに登ってきたが、目測を誤ったのかでんぐり
返りっぽく転げ落ちてしまい、目をぱちくりさせた。
(あーっくそぅ!)
「あーっくそぅ!」
 心と体、両方で叫ぶ。
「(かわいいなぁもう! かわいいかわいい! 本当に目に入れちまおうか!)」
両手で挟んだとも生物を眼球に近づけたところで、しかし、常に冷静な思考を欠かした
ことのない私の脳細胞が抑止する。『ちょっと待て』と。

623 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:12:47 ID:xz2CR20m
なるほど。確かにしかたないこととはいえ、少々愛情を暴走させた感はあったかもしれない。
落ちついて考えてみよう。
 まずは今後のことだ。
 本当にとも生物は、いや、ともはこのままでいいのか。
 個人的にはこのままでいいと思う。しかし、それは自分本意なものの考え方ではない
だろうか。
 普通の生活。それをともは望んでいるのではないか。
 普通の幸せ。この姿ではそれは無理だろう。
 これでは……婚姻届も出せない。
 そう、私と結婚できないじゃないか! それではあまりにも可哀想すぎる。
ああ、せめて異種族間の入籍が可能ならば。人間界の後進的な婚姻制度がうらめしい。
 「水原とも生物」というのも語呂が悪いし、何とか元に戻さないといけない。次に
考えるべきはその方法だろう。
 ふむ。
 左手でとも生物を撫でながら、右手を口元に添えて、しばし。とも生物に関する情報を
頭の中で検索・分類・分析してみた。
 結果、
 よくわかんなかったので、とりあえずとも生物を抱きしめてゴロゴロ転がってみた。
二時間程度。

624 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:14:58 ID:xz2CR20m

 私の部屋がかなりきれいになっていたことは、特に語る必要もないだろう。
 ローラークリーナーとしてカーペット上を縦横無尽に高速回転していたのだから。
 それにしても……。
 私は腕の中のとも生物を見る。とも生物はこちらを見返して「ともー?」と小首を傾げた。
 改めて愛おしさがこみ上げると同時に、戦慄が背筋を走る。
 危ないところだった。
 あれ以上の回転を自身に課していたならば、まず間違いなくバターと化していたに違いない。
 できるのはかなり高脂肪のバターだろう。って、自分で言ってどうする、私。
 一人ボケツッコミをやってしまった。脳には既に溶けかかっている部分があるのかもしれない。
(悠長に構えている暇はない、か)
 時間がない。
 とも生物の恐ろしさ。それはその魅力だ。無邪気に振りまかれる無尽蔵の愛らしさは、周りを幸福に浸らせ、そして破滅に導くのだ。今私の中に収まっているこの生き物を
世に放ったら、遅くとも七日間で世界中が幸せのうちにバターと溶けてしまうだろう。地球自体の高速回転すら起こり得るかもしれない。
 にもかかわらず、これほどの、超弩級の魅惑を備えた当の本人は、その危険性に全く無自覚であるのだ。
 事実、先ほどまで共に乳製品化の危機に直面していたというのに、今もこうして私をつぶらな瞳で見上げている。「とも?」と可愛く口を開けさえして。
 危機再来の予感。これでは考えをまとめる前にまた回転を始めてしまうだろう。
 一緒にホットケーキの上でとろけるのも悪くない。そんな気持ちがあることを否定しはしない。


625 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:15:42 ID:xz2CR20m
 けれどこのミズハラ=コヨミには夢がある。
 捨てるわけにはいかない。何より勝る最優先事項だ。
 第一夢のためにはやはりとも生物をともに戻さなくてはならない。
 夢……「幸せになること」……つまりは、二人の結婚、そして、
「ともはやっぱり子供、好きだろう? 欲しいよな?」
 呼びかけると「ともー♪」と嬉しそうに応えてくれ、私も嬉しくなる。
 二人の愛の結晶を創り出す。幸せな家庭を築くのだ。そう、それが私たち二人の夢だ。
 そのあたり、やはり人間同士でないと難しい。異種交配にはすこぶる自信がない。
 私は身支度を整え始めた。
 こんな時こそ頼れる友を頼るべきだ。
 ちよちゃん。
 十歳にして高校入学するほどの天才児。きっと最良の方法を見つけだしてくれるだろう。
今日も寒い。私はジャンパー込みの出で立ちを思い描き、クローゼットを開けた。そして、パジャマのボタンに手を掛ける。
 とも生物はその習性からやはりじっとしていられないのか、着替えている間中足下でせわしく動き回っていた。
 ぐるぐると私の衛星よろしく周回したり、弾けるような横っ飛びで体当たりをかましてきたりと、まったく落ち着きがない。時折こちらの反応をうかがうようにピタリと止まって見上げてくるも、
一秒も立たないうちに走り出す。おかげでベッドの上に脱ぎ捨てたはずのパジャマは、そのつもりはないのに、ちょうどその位置にいたとも生物に被さってしまった。
 一瞬何が起こったのかと布地の下で動きが止まる。が、次の瞬間には喜び勇んで駆け出していた。時間も計ってないのに、無意味な往復を私と部屋の壁の間で繰り返す。

626 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:17:16 ID:xz2CR20m
 どこに引っかかっているのか、私の寝間着はまるでマントのように二頭身動物を着飾っていた。直線移動でスピードが乗ると床のわずか上を舞い、方向転換時に今の持ち主を覆おうとする。
とも生物はパジャマなんぞに飲まれてなるかと、小さな手足でカーペットを蹴り、慣性に逆らったダッシュで対抗。パジャマととも生物のめまぐるしい攻防が繰り広げられていた。
「ともー♪ ともっ? ともー☆」
 それにしても何がそんなに楽しいのだろう。人生面白くってしょうがない、というようなはしゃぎっぷりだ。人間時と同じく、その行動と思考回路はまったく理解できない。
 いや、理解する必要はないんだろう。ジーンズを履きながら思う。理由なんてないんだから。それに理不尽だからこそ、なんだ。だからこそ、こいつはこいつなのであって、そして、だからこそ、私はこいつのことが好きなんだ。

627 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:17:49 ID:xz2CR20m
 歯を磨き、髪をとかし、ジャンパー姿の自分を姿見でチェックし、準備完了。
 朝食をとる暇すら惜しく、抜きで行くことにする。この理由には当然、一緒に食事をすると、ついとも生物の方を食べてしまうという危惧も含まれている。青い情動を考慮に入れた我ながら賢明な判断だ。
 部屋のドアノブを回し、じゃあ行こうか、の言葉も終わらないうちに、足下で戯れていたとも生物は開きかけの隙間から飛び出していった。元気いっぱいの気分屋だ。
とてててっ、と小さな手足の駆ける音が私の先を行く。
 遅れるように玄関に着くと、ぴょんぴょんと二頭身が跳ねていた。
ほほえましい光景に、先ほどから緩みっぱなしだった頬がさらに緩む。緩み成分の分泌を制御とかしている脳のアレな部分が、急性機能障害を起こしてしまったようだ。まあ、別次元にどうでもいい。
 私はドアノブに手をかけ、ハートウォーミングもといハートウォーキング、平たく言えば「愛のラブラブ散歩旅〜冬のモーニング編〜」の世界を開いた。
途端にとも生物は、例の特徴的な鳴き声をあげて、勢いよく駆け出していく。
 かと思ったら、
 間をおかず、出ていったのと同じ鳴き声と同じ勢いで、ブーメランのように飛び戻ってきた。
「ど、どうした?」
 胸に飛び込んできたとも生物を抱きしめてやるとプルプルと小さく震えている。
 そういえば、吐く息が白い。……寒気か!
 うかつだった。こちらは冬用の格好をしており、かつ、とも生物の存在により我が内部は燃え尽きるほどヒートしている。しかし、とも生物はどうか。私へのサービスかと思わずにはいられない半裸ぶり。寒くない訳がない。
その程度、気を回してしかるべきだったのに、なんて事だ。水原暦、一生の不覚。とも生物への愛がまだまだ足りないということか。
 とも生物が私に腹を立てている様子はない。が、私の気が収まらなかった。信賞必罰。とも生物がともに戻ったら、色々おしおきしてもらわなくては。各種の道具を取り揃えておこう。あんなのとか、そんなのとか。


628 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:18:56 ID:xz2CR20m
それにしても、だ。
 時分の悔恨と反省が引いてくると同時に、別への感情が湧いてくる。
 憤懣やるかたないとはこのことだ。はらわたが煮えくりかえると言ってもいい。大恩を仇でかえすとは。
 冬め!!
 人が温暖化現象に気をつかっているのを、ここぞとばかりに凍てつきやがって
 電源をこまめに切って節電したり、時には二酸化炭素の排出を抑えるため、ダイエットが必要な時分にも控えめな運動を継続していたり……犬でも一宿一飯の恩義は忘れないと
いうのに、貴様は所詮血も涙もない無生物か! 飼い犬に手を噛まれるとはこのことだ!
 人間であるが故の矛盾を内包した思考を巡らせていると、「とも〜」と言う切なげな鳴き声が、胸の中にある震えの感触を呼び戻した。
 いかん。小事に惑わされ大事を見失うところだった。
 今の私にとって、全てにおいてとも生物が優先される。一にとも生物、二にとも生物……いや、一から百までとも生物だ。断言する。世界の中心で叫んでもいい。とにかく一季節の断罪は後に回そう。ぬくぬくした衣服を用意しなければならない。
しかし、どうする。小動物用の衣服なんて持ち合わせていない。もしこのような事態を想定していたなら、リカちゃん人形並のバリエーションを取りそろえていたのに。
ドレスやワンピースなど何種類もハンドメイド。スクール水着や裸エプロンなども当然完備だ。……まずい、何か興奮してきた。とも生物は寒がっているというのに私が熱くなってどうする。
「………!」
 その時、脳内フィラメントがペカッと光った。
なるほど、逆転ホムーランというやつだ。または、転んだブスをまたごう、とも言う。
なるほど考えてみれば単純なことだが、これほどの名案もない。背水の陣が一転、一挙両得の状態に転換するのだから。
その、閃きの一手とは、


629 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:19:46 ID:xz2CR20m
「とも〜♪」
ご満悦のとも生物の声を受け、私の心も満タンだ。ついでに鼻息はフルスロットル気味でもある。
胸元上部まで下ろされたチャックの谷間から、可愛らしい頭が覗いていて、耳が時折ヒコヒコと動く。
 愛らしい小動物を有袋類の如く、体の中で保護する。シンプルだがベストなプラン。顔以外の全身を外気から遮ることで、とも生物は温かな安心感を得ることができ、
私もいつも身近にとも生物を感じられる幸せを手に入れられる。これ以上なく素晴らしき発想法だ。
見た目的にも悪くない。満面の笑みが、爽やかな陽光のように私の胸に照り輝いている。暖色系のジャンパーとの組合せが、このままパリ・コレに出向いてもいいくらいの気持ちにさせる。
とも生物の分だけ増えた体積が、見た目のバストアップを達成していることも見逃せない。
 今年の冬はこれで決まりだ。


630 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:20:21 ID:xz2CR20m
 相談を持ちかける女性と、それに答えるもう一人の女性の声。それは通常の速さと発音で行われていた。
 そんな二人の会話に、開いた本を見つめながら耳を傾けている少女がいる。視線は、今相談者が話している速さに合わせ、文字列の上を滑っていく。これまで、そしてこれから先の二人が語る言葉は全て、数ページの内に記入されていた。
 少女、美浜ちよはその一言一句を目で追い、耳で捉え、頭の中で把握する。時折口が動き、聞き取れるか取れないかの声を紡ぐ。
 そして、二人が別れの挨拶を交わし、会話が完全に終了したところで、静かにヘッドホンを外した。テキストのページを始めに戻し、一呼吸置いて、口を開く。
 異国の言葉が部屋の中を流れていった。机と本棚とPCのみで構成されたある種殺風景な、勉強専門の部屋。そこに先ほどの外人女性たちが交わしていた言葉……それらを声色以外の全てを正確になぞったちよの声が響く。
 担任である英語教師よりもずっと流暢で正確な発音のネイティブ・スピーキングは、高原の涼やかな風を連想させるほどに澱みなく透き通っている。
 と、その流れが中途で止まった。
 そして今度は、故障したテープレコーダーのように同じ箇所を何度も繰り返し始めた。微妙に調子を変えて。何度も、何度も。
 ――また、止まる。
「むー…」
 小さくうなって、ヘッドホンを再び被るちよ。
 どうやらアクセントに気に入らないところがあったようだ。見かけによらず、頑固で負けず嫌いで完璧主義者なのだ。

 英会話のCDを再度流していると、不自然な効果音が耳に入った。集中力が途切れる。
「……?」
 意識を英会話に戻そうか、不自然の原因分析に回そうか逡巡しかけたところで、また効果音。
(……違う?)
 ようやく現実世界のインターホンだと気づき、ちよはヘッドホンを外し、部屋を出た。



631 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:21:44 ID:xz2CR20m
「よみさん、相談って、な……」
 何ですか、の冒頭がそのまま絶句混じりの感嘆詞に変換された。
「やあ、ちよちゃん」
「ともー♪」
 思わず目を両手で擦るちよ。勉強疲れかな?と、再度見直す。
「ともー♪」
しかし現実は非情である。笑顔が縦二つ並んだ面妖なトーテムポールが、依然として厳然と眼前に存在していた。
(ナニコレ――!?)
 パニックになる少女の気持ちを推し量ってか、緩んだ笑みのよみが疑問に答える。
「これはとも生物だ」
「とも生物っっ?!」
 ますます混乱するちよ。さもありなん。
「今朝起きたら智が萌えモン進化してしまってな。オーキド博士もカツラが吹っ飛ぶほどのビックリドッキリ現象だ」
「?!?!」
 先ほどまで英語における高い技能を見せていた少女にも、目の前の眼鏡が発する言語がてんで理解できない。流行り廃りの目まぐるしい若者言語はいつここまで?
と何とか冷静さを取り戻すべく、できるところから思考を働かせようと試みるが、いえ、そのバカ者言語はかなり局地的なものです。
役満完成と同等の喜色で、二連宝塔(リャンレンポートー)のてっぺんはなおも続ける。
「詳しい話は後でするから、とりあえず中に入れてくれないかな? このままだと、こう、何というか、とも生物がさっきからもぞもぞ胸の中で動くんで、お姉さんもう辛抱堪らんことになってしまいそうなんだ」
 半ば脳の融解した言葉に、ちよは何とかなけなしの気丈さで答える。
「そ、それは構いませんが、いえホントは結構構いますが、一応暫定的に了承するとして、中に入ったら忠吉さんやセコムあたりが飛びかかってくる可能性も」
 ちよちゃん、かなり動揺中。
「はっはっは、イヤだな、こいつはそんなに危険動物じゃないって。むしろ人を幸せの局地に追いやってくれるスイート・エンジェルさ。現に私はさっきからエンドルフィンとドーパミンとトモフェルミンが脳内に満ちあふれんばかりなんだ」
 いえ、危険というなら、かなりの度合いでよみさんの方なんですが。というか、トモフェルミンって何。
「こいつは私の物だが、この幸せは是非分けてやりたいな」と美浜邸に足を踏み入れるよみ。
 未だ麻痺した思考の片隅でちよは思った。……今日は不幸な一日になりそうです、と。
 そして女の勘はよく当たったりする。不幸なことに。


632 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:22:47 ID:xz2CR20m
 ドーナツとコーヒーを乗せたお盆を持ってちよが部屋のドアを開けると、案の定桃色空間が展開していた。もちろん予想の斜め一歩上で。
とも生物とやらは、よみのお腹の上にいる。自らが立っているその足下を警戒しつつも、目を輝かせて次の変化を待っていた。
「ほ〜ら、震度5だぞ〜ぉ☆」
「とももももも〜っ♪」
 ぐらぐらぐらと震える身体。その上で嬉しそうに戯れる二頭身。
 謎生物一体が棲息する孤島と化したよみは、スリル満点の地殻変動を突発的に起こし、その度に喜びの鳴き声を挙げる小動物にご満悦になっている。喜悦に満ちた顔面が液状化現象を引き起こしている体(てい)なのは、もはや説明の必要はないだろう。
普段気になる腹部の皮下脂肪も、とも生物のためなら何をはばかることやあらんかと、揺らす揺らす。揺らしまくる。そりゃあ太っ腹に。
「あぁ〜、段々震度があがってきたぞ〜? 気をつけろ〜っ☆」
「ともももももも〜っ♪」
揺れの危険度が、地主の精神性のそれと共にUP。
 ダイエットという抑制から逃れる大義名分ができた開放感も相まって、水原某のはしゃぎっぷりは何かもう見てらんない領域にまで達している。
「…………」
 自室でありながら、今すぐこの場から踵を返したい衝動に駆られる美浜ちよ氏(11歳)。普通の人間なら当たり前の感情だろう。逃げ出して、お近くの心療内科あたりにTELなどしてもおかしくない。
『すみません、あの、異常変質未確認生物です! 至急マシンガンの一斉掃射を!』
 が、クラスでは学級委員も務めているしっかりさんな彼女である。この状況において常識的な言葉を発することに何とか成功した。
「あの、よみさん……戯れるのはそのあたりでやめてくれませんみょ?」
 やや錯乱気味ではあったが。


633 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:23:36 ID:xz2CR20m
「……というわけで、ちよちゃんなら何かいい方法を考えてくれるんじゃないかと思ってね」
「……と、言われましても……」
 コーヒーを啜り、一応の落ち着きを得て事情を聞くも、朝起きたら人間がUMAになっていたなんて話に、良い対処法を即座に思いつける普通人はいない。
ちよのように戸惑っているならまだ良いほうで、色を失って取り乱してしまうのが極一般の反応であろう。狂喜乱舞している目の前の御仁は、むしろ、というか普通に異常だ。
「こういうのは、そのぉ、もっと専門的な機関で……特命リサーチとか……」
「頼むよ、ちよちゃん」
先ほどまで緩んでいたよみの顔が、うってかわったようにきゅっと引き締まる。眼鏡越しの瞳の光は、曇りなく真剣で。思わず伸びるちよの背筋。
「他に頼めるあてはないんだ。多くは要求しない。ともを元に戻して欲しい。それだけなんだ。そのためだったら私はどんな犠牲でも払うよ」
幼なじみを何よりも大切に思う気持ちが、おさげの少女にも痛いほど伝わってきた。冬場は脳が冬眠する人も出てくるんでしょうか、などと考えていた自分を恥じる気持ちも生じる。
「よみさん……。そこまでともちゃんのことを大切に……」
「ただ少しだけ欲を言うなら、元に戻った後も、ともととも生物の姿が自由に入れ替われるようにしてほしいな。私とともの子供も変身可能ならなおいい。ついでに言えば中間形態に、」
「ごめんなさい、一瞬でも見直してしまって、ごめんなさい」
 恥じ入る気持ちの対象が、即座に自らの認識の甘さに変じたちよだった。
「何か問題でもあったかな?」
 まるでわかってない眼鏡は、膝の上で丸くなっているとも生物を撫でながら、やや首を傾げる。
「問題って……ともちゃんがこのままでいいんですか?! 戻れないかもしれないってときに、欲望丸出しの発言は控えてください!」


634 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:24:37 ID:xz2CR20m
 ちよの語調が険を含んできた。それはこの異常事態に慣れてきたためだけではなく、理不尽に巻き込まれた腹立たしさによるものでもある。まあ異常事態というのはぶっちゃけ、
名は体を表すの言葉通り精神が彼岸(黄泉)にイッちゃってる人が、今ここにある危機なわけだが。
「むう。とはいえ、昔から『とももとも生物もともの内』と言うだろ?」
「天地開闢(かいびゃく)以来、その言葉を聞いたのは私が人類初です」
 何気に暦と智をヒト族の枠から外す人類代表少女。
「いや、しかしだな、とも生物の存在は人類の宝と言っても過言ではないとの専らの噂だぞ」
「即席の言説をよくそこまで誇張できますね……第一、何の役に立つんですか」
「うん、ナイスな質問だ。たとえばとも生物を野放しにすると、七日間で世界がバターと化す」
「百害あって一利なしじゃないですか! しかもワケわかめです!」
「ホットケーキ食べ放題なんだがな。それと、分泌物から美容品ができる」
「美容品?」
「トモホルンリンクルだ」
「未知の生物から未知の製品がっ!?」
「とも生物の一滴一滴から創り出す、貴重な一品だ」
「一滴一滴って、一体何の汁ですか?!」
「エロパロ板でないここでそれを言えと?」
 キラリと光る眼鏡の瞳。『私は構わないが?』と如実に語っている。
「あ、いえ、言わないでいいです。失言でした」
 げんなりしてきたちよに委細構わず、よみは膝の上で喉を鳴らしてまどろんでいた二頭身を抱え、
「加えてこうして頭に乗せることで、ニューウェーブのファッションが誕生する」
「ともー♪」
 ふざけたねここねこ、ここに完成。
「うわあ、にほんはつのすごいでざいんですねえ」
 棒読みちよちゃん。まともに相手をすると神経が持たないと考えたらしい。天才の名を冠するにふさわしい賢い判断である。適当に聞き流すが得策と、ドーナツに手を伸ばす。
「これをぬいぐるみ化すればものすごいヒット商品になるし、引き出物としても使えるな。――次にお前は『それは何の引き出物ですか』と言う」
「だからそれは何の――ハッ?!」
「私とともの結婚式だぁーッ!」
 どーん!、と黒ずくめのセールスマン風に突き出された人差し指に、ちよは雷に打たれたように硬直する。のろけヨタ話に助力してしまったー!
 愕然とした指先からぽろりとドーナツが落ち、絨毯を転げた。
 それを見たとも生物、よみの頭上からぴょいんと飛び降りると、環状のお菓子を追いかけて部屋の隅まで走っていった。
「おっ? どうした、マイ・ハニー?」
 小動物は後ろ向きでお尻ふりふりしていたのも束の間、嬉しそうにドーナツをくわえてマイ・ダーリン…もとい、よみの元へ駆け寄ってくる。


635 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:25:49 ID:xz2CR20m
「こっ、これはっ」
「今度は何ですか…」
 驚愕のリアクションを表す眼鏡に、それは私のドーナツです、という些細なツッコミを入れる気力もないちよ。
「伝説の『ポッキーゲーム』というヤツか?!」
「輪っかの形状で実行するつもりなら、口の大きさを倍加してからにしてください。もっとも知的には人類を超越してるっぽいから案外可能かもしれませんが、その時は人の目の届かないところで、できれば因果地平の彼方でやっていただけると嬉しいです」
 が、厳しさ五割り増しでありながらやっぱりツッこんでしまうあたり、優等生の性だろうか。普段まとめ役・ツッコミ担当の水原暦がこんなんだから、自分が代わりにならなくては、との義務感が無意識に生じたのかもしれない。損な性分である。

636 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:26:48 ID:xz2CR20m
「じゃあ、ですね」
 こほん、と咳払いを一つ。
「とも生物の有用性はともかく、まず事の原因を探ってみましょう」
 気を取り直して、話を現実路線に戻すちよ。知的人外魔境に付き合って自分の思考回路が破壊されてしまう前に、事態を解決に導かなくてはならない。
「原因と言ってもなあ」
 人の気も知らず、どこか脳天気な感じでよみは視線を宙に巡らす。
「思い当たる節がさっぱり」
 膝の上では、とも生物が与えられたドーナツを小さな手で回転させながら食べていた。次第に薄くなっていく揚げ菓子。だが一方で、謎の範囲はとんと狭まらない。
「何でもいいんですけど。普段と変わったこととかなかったんですか?」
「うーん……」
 中身を攪拌するかのように首を回す。その動きが下半身にも伝わったのか、とも生物はぴくんと頭を一度あげ、しかしまたすぐに回転ドーナツに没頭し始めた。
「たとえばですね、最近何か悪いものを食べたとか」
「おいおい、まさかそんなわけ……」
 あ、とよみの口が開かれたままになる。何かに気づいたように。
「あるんですか? 心当たり?」
 身を乗り出すちよ。ささいな事が思いがけない真理に到達するきっかけになることもある。思いつきで言ったことだったが、もしかすると――
「いや、でも、まさかね」
 言う価値もないだろうと、よみは可能性を否定する。引っ込めようとする言葉に、ちよは食い下がった。
「ちょっと話してもらえないですか? もしかすると」
 ――もしかすると重大な手がかりになるかもしれない。
「まあ、そこまで言うなら」
 いつのまにかドーナツを食べ終わったとも生物は、菓子の欠片が手やら顔やらに付いてしまっており、今度はそれを可愛い手足で取っては口に持っていく作業に熱中している。そのちょこちょこ動く姿を愛おしそうに見つめながら、
「昨日の夜の話なんだけどさ」
 よみは記憶を掘り起こし、順を追って言葉にしていった。

637 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:27:26 ID:xz2CR20m
吹きすさぶ寒風。
 天気予報では例年にない寒波の訪れを告げていた。
 寒さはあらゆる生命活動を抑止する。犬や鳥、虫たち、当然人間も。耳に入ってくるのは、電線を鳴らし窓をカタタカと震えさせる風の音のみだ。しかも今は夜。一層の寂しさ
と寒さが外界に満ちている。屋内にいようとも、心理的な冷気が身体の芯にまで浸透してくるような気になってしまう。
こんな時には身体の中から暖まる恒例のあれ――鍋物、これに限る。
 ということで、水原宅内・暦自室にて二名がカセットコンロ上の土鍋を囲んでいた。よみの両親は諸事情により今日は帰ってこない。
 くつくつくつ。
 音と湯気が小さく部屋に広がりつつある。
 煮えてくる鍋に待ちきれないのか、ともは折り畳み式のテーブルの上で頬杖をつきながら、頭を揺らしている。
 よみは眼鏡が曇るのを避けて、後ろ手に両手をつき、ややテーブルから身を離した位置から、そんなともを眺めていた。
「あー、早く食べて〜」
 鍋より先に業の方を煮やしたともの叫びがついに飛び出す。
「そうがっつくなよ。鍋は逃げやしないって」
「ホントか? ほっといたら全部よみが食ってたってオチはないかね?」
「ねーよ」
 足先をともの膝にぶつける。
「経験上、暦さんは勝手に自分好みの味付けにして、一人で全部食っちまうからな」
 ともの膝が動き、よみの足先を圧迫。反撃の意を示す。
「んなわけ…」
「ないって言えるか?」
「う」
 ビシ、と指先を突きつけられて、反撃の反撃に詰まってしまうよみ。
「じゃ、この前の鍋はどういうことだ? なあ?」
「あ、あれは、お前が私に作るの任せてくれるって言うから」


638 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:28:04 ID:xz2CR20m
「にしたって、あんな激辛×100な物体Xを製造しやがるとはどういうこった?! マグマみてーな赤い溶液が、食べる前から目に染みて辛かったぞ! 催涙ガスかよ?! 
太陽と大地の恵みから毒物錬成しやがって。お百姓さんに申し訳ねえとは思わねーのか!」
「でもさ、ほら……意外においしかっただろ?」
「結局ほとんどお前が食べたけどな。それでも私は翌朝ケツが火炎放射器になったし」
 思い返すように、ともは臀部をさすった。よほどのハザード(災害)だったらしい。
「いや、確かにあれはちょっとやりすぎたかもしれないけどさ、今度は控えめにするから。な?」
「おやぁ? まさかおめー、また辛くするつもりか? 赤くすんのか? ん?」
 身を乗り出して、湯気の中から威嚇するとも。火口から現れた大魔人の風情に、自然、より身を引いてしまうよみ。
「だって……辛いの好きなんだよ。いいだろ?」
 な?と気弱な笑みで卑屈にお願い。
「だ・め・だ。今日は辛いの禁止。禁辛」
 ともは哀願をぴしりと突っぱねた。こうなると結論はテコでも動かない。今宵の鍋の辛味は、一切の存在をここに否定されたのだ。
「そ、そんな」
「そんな、じゃない」
 情けない表情で絶望するよみに、ともはにべもない。
「毎回辛い辛いで、このまんま激辛好きが高じたら、いつかよみは私をハバネロまみれにしかねねーからな、マジで」
「いや、いくら何でも」
 そんなことは、と反論しかけて、ふとよみはそこに妙に琴線をかき鳴らすものを感じるのだった。


639 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:28:42 ID:xz2CR20m


 綺麗に拭かれたテーブルの上、紅い粉末を全身にまぶされた少女が緩慢に悶えている。
『よみぃ……身体、熱いよぉ……』
 涙目で見上げながら、切なげな声で訴えてくる。デリケートな部分から、熱を持った辛さが浸食してくるのだろう。じんじんと焼ける疼きが身体をさいなんでいるはずだ。しかし、後ろ手に縛られていては何もできまい。
『お風呂……シャワー……お、ねが』
 助けを求めるともの哀願に、よみは無言で首を振る。自分の望む言葉ではないからだ。そして、待つ。今にもほころんで歯列を覗かせそうな口元と、欲情の光をたたえた双眸と共に。
『じゃあ、タオル……っ』
 やはり、よみはゆっくりと首を振った。どこかもったいつけている感じもする。否定の意味をことさらに強調する意味合いもあるのだろう。
 その狙い通り、絶望の表情を浮かべるともに、より大きな喜悦がよみの全身を走る。
 ともはもうわかっているはずだ。答えを。唯一の答えを。
 なのに言わない。長引けば自分がそれだけ苦しむというのに、それでも言わない。今、拘束された身体の中では、プライド、羞恥心、恐怖、そんな感情がせめぎ合っているに違いない。堅く閉じたまぶたと食いしばった口からも、それは見て取れる。
『……っ……ぅ……』
 しかし、もう限界だろう。全身が真っ赤に染まり、塗布されたハバネロの紅さに重なる。吐息の荒くなっていく様は、帯びてきた熱がまるで見えるかのようだ。ついにこぼれた涙は、にじんだ汗と絡み合い、テーブルに落ちる。そして、
『……舐めて……』
 答え。
 聞いた瞬間、よみの脳で何かが爆発する。

【 ねんがんの ファイナルアンサーをてにいれたぞ! 】

 そう、それこそが唯一の答えだった。我が身をご賞味することを自ら懇願する言葉。
 望む言葉をサルゲッチュしたよみは、いただきマンモスとゆがめられた口から紅い舌をひらめかせ――



640 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:29:54 ID:xz2CR20m
「なっ何だか知らんが、とにかく良しッッ!!」
 自らの妄想に感極まり、思わず現人鬼と化して叫ぶよみ様。ああ、暑苦しい。
「うるせえ」
 ぺし、と箸が二本、よみの額に当たった。ナイス・ツッコミである。
「……あ、危ないところだった。危うく、」
我に返ったよみは冷や汗を拭う。
「妄想が暴走して粗相する様相だった」
「ナニしようとしてんだ、お前!」
 むしろ自分の危機感を煽られる、たきのクライシス。
「そうだな、たとえば……一息で着衣から飛び出して、パンツ一丁でともを襲う」
「んなことしたら、バネ付きのグローブで顔面を殴る!」
 ともは即座に理想の女性像の行為を口にした。あまりの言行に当然の反応だ。
 ……しかし、本当に口にしたいのは鍋の方で。
「――と、メシがねーじゃん」
そろそろ本格的に相方をシメとく必要性をも考えたともだったが、今は食い気の方に意識が向いたようである。眼鏡が割られる事態は避けられた模様だ。
「じゃあ、ちょっと持ってくっか」
 勝手知ったるよみの家。ともは台所にある炊飯器の元へ行こうと、立ち上がってドアノブに手を掛ける。
 よみは先ほどの奇行を気まずく思っているのか、鍋をうつむくようにして見ながら頭を人差し指で掻いている。
「……あー、あのさ」
 唐突に話しかけられて、よみは顔を上げた。
「頼むからさ、大人しくしてろよ。いくら二人っきりだっていってもさ、さっきみてーな……『曹操がモーホーで、直腸が閃光』?」
 妄想が暴走、です。
「とにかく落ち着いてろな。暴走女子高生の私が言うのも何だけど、リミッター解除した時のよみは、その…、嫌いじゃねーんだが」
 どんどん尻窄みに小さくなっていく台詞。
「今日はやさしくしてくれよ、な」
 最後は途切れるようにか細く言うと、すぐ顔をそらして部屋から出ていった。
よみは、ぽかん、とした表情でしばらくいた。が、やがて言葉の意味を飲み込むにつれて次第に顔を紅くしていった。
 何だか仰向けに絨毯に寝転がってしまう。リング状の蛍光灯が二つ並んでいる天井が目に入った。

641 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:30:51 ID:xz2CR20m
 部屋の中に一人、鍋と窓の音だけが鼓膜に触れている。
「とも……」
 ふとつぶやく。
 さっきのともの顔、紅くなっていた。
 ああいう台詞のあと、ああいう表情を覗かせるなんて。
 ったく。
 かわいすぎるじゃないか。
 自分の前でも滅多に見せない、まして人前では絶対に見せない、ともの姿。
 誰も知らないんだろうな、ともがどれだけ可愛いのかを。
 私だけが知っている。私だけの滝野智。
「くふっ」
 ちょっといやらしいニヤけた笑いが漏れてしまう。
 これからのことを考えればいた仕方のないことだ。なにしろ、あれ以上に可愛い姿を見させてもらうことになるんだから。
 やさしくしてくれ、だってさ。
 口調を真似てみて、また口元が緩み歪んでしまう。
 あそこまで言われちゃ期待に応えるしかない。今日は丹念に、じっくりと、ゆっくりと、ねっちょりと、かわいがってやろう。
「ま、それはともかく」
ごろりと半回転。うつぶせになる。
手足を動かし、もすもすと匍匐前進ですぐ後ろにある自分の机まで移動すると、下の引き出しを開けた。

642 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:31:59 ID:xz2CR20m
所狭しと敷き詰められるように並んでいる小さな容器たちが、それぞれの特徴ある容姿を主張している。
 しかし、そんな個性を持った彼らにも共通点があった。色である。透明な表面を透かしているか、あるいは模して同色としているかは個々別々ではあるが、つまりは中身が同色なのだ。
赤の軍団。
 その一言で言い表せるだろう。
 一味唐辛子、七味唐辛子、豆板醤、チリペッパー、タバスコ、そして当然ハバネロ。
 世界各国のありとあらゆる赤の辛味が勢揃いしていた。何だか戦隊モノでもできそうである。激辛戦隊カプサイシン。『カプサイレッド!』『カプサイレッド!』『カプサイレッド!』。没決定。
 さて、これらは水原暦の常備薬ともいうべき秘蔵の品々だ。一つ一つが厳選された素材でできている。
 よみは瓶の物をつまみ、取り上げる。
 熟成された辛味がたっぷりと満たされているコチュジャン。見ているだけで唾が湧いてくる。
 ともは辛くするなと言ったが、少しぐらいならわからないだろう。灰汁のためとか、気のせいとか、言い訳も各種揃えておけばいい。第一、ともにだって悪い点はある。
こっちが必死に辛味への欲求を抑えていたというのに、あんな……あんな紅い顔をするから、どうしても赤い物を口にしたくなってしまったのだ。
 自身への言い訳も抜かりなく、よみは一つ目の蓋を開けた。
――これほどまでに辛味を求める彼女を、奇異の目で見ないでやってほしい。何にでも唐辛子をかける、日本の女子高生にもそんな時代がありました。ハイカラならぬHigh辛ってやつでさぁ! これまた失敬。




643 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:39:03 ID:xz2CR20m
「……大方の予想通りだと思いますが、それでどうなりました?」
 少々げんなりした様子でちよは尋ねる。結局のろけ話を聞かされることになってしまっている気がする。それでもまだ手がかりの可能性にかけている自分がいた。最後まで聞いてみよう。
「ちょっとずつなら入れてもいいかなって思って。ちょっとずつ、ちょっとずつ」
「全種入れたんですね…」
「いや、ちょっとだけだよ、ホントに。……でも、タバスコが他よりちょっと多めになっちゃってさ」
「そのタバスコが多すぎたんじゃないですか?」
 他より五十割り増しぐらいで。
「いや、違うよ」
即座に否定するよみ。
「釣り合いがとれるように他のを少しずつ足していったんだ」
「…………」
「…………」
沈黙。
 とも生物は、よみのお腹に抱きついて遊んでいたが、今はうつぶせの状態で動かなくなっている。半ば立ったまま、寝てしまっているようだ。
「……後は、エンドレスですね」
「てへ」
てへ、じゃねえ。
 ジト目で眼鏡を見るツインテール。
 やはり予想の斜め一歩上だった。



644 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:39:46 ID:xz2CR20m

ともが両手に茶碗を持って部屋に帰ってきた途端、肌で感じられるほどの密度を持った刺激臭が、まず目と鼻の粘膜を急襲した。
「うおぉおおぉっ?!」
 両手がふさがっているため、耳目のどちらも保護できず、ともは辛味成分の攻撃力に苦悶の叫びを上げる。
「はッ?! と、ともっ」
慌てて後ろ手にレッド・ホット・チリ・ペッパーを隠すよみ。しかし、目の前に生成された劇物はどうにも隠蔽できない。
「おっ、お前、おまえぇえぇええッ!!」
茶碗を両手に携えた、憤怒の形相で迫る異形の阿修羅。
 よみは調伏される危機感に、ずざざっと後ろ向きに後退したが、すぐに壁に退路を阻まれる。
「いや、気のせいだから、ほら、光の屈折とかの関係で、夕日みたく色がそう見え」
「ふざけんなぁああッッ!!!」
明らかに言い訳が火に油を注いでいる。今ので阿修羅が後ろに火炎を背負い、不動明王にパワーアップした。
「何してんだよ、こんなに赤くして! これじゃシャアだって食えねーぞ! どうすんだよ! なあ?! 何で赤くしたーっ!!」
「せ、せっかくだから…」
「せっかくだから?!」



645 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 18:40:20 ID:xz2CR20m
「……で、まあ、なだめるのに苦労したよ」
「え? その鍋を食べてくれたんですか、ともちゃん」
 それは意外だ。嫌な物は絶対に嫌だと言うともが、どうして……?
「ああ、私が箸で取ってフーフーしてやって食べさせるって条件でね」
「…………わかりました。犬も食わない話、ありがとうございます」
「最後のあたりは口移しで、」
「いえ、もういいです、お腹一杯です」
 ついにちよは音を上げた。普通の人間にしてはよくもったほうだろう。
結局何の手がかりにもならならず、のろけ話を聞かされただけで終わった。謎生物問題解決への道は未だ先行き不透明だ。
 この一年で一番長い日になりそうだと、ちよはため息をついた。

(続け)


646 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 22:24:42 ID:xz2CR20m
「何か解決の糸口はないんでしょうか……?」
 悩みが言葉となって出る。
 何となく煮詰まってしまった感がある。
「この袋小路から脱出するには、袋小路自体を壊しちゃうような思い切ったやり方が必要かもしれませんね」
「ふむ、それなら」
 よみがとも生物をやさしくカーペットに置き、立ち上がった。
「原点に立ち返ってみよう」
「え、何を…」

>よみは服を脱ぎ出した

「うぁあああああッッ?! よ、よみさんんッッ?! 待って、待ってください! ストップ・ストリップ! 付けるものはちゃんと付けて! っていうか、何を?! はッ?! 
原点? 原点に返るって、つまり生まれたままの姿に?! いや、ワケわかりません!!」
 激しく狼狽しながらも、うら若き乙女がスポーンスポーンとクロスアウト(脱衣)するのを止める。よみはそんなちよちゃんに対し、幼い子供を教え諭すように人差し指をおもむろに振った。下着姿で。
「そのへん子供だね、ちよちゃん。この問題の解決はとも生物を深く理解することから始めないと」
「それがこの地球大奇行と何の因果関係が?!」
「とも生物の身も心も知るためにはこれが一番だろう?」
「あ、そうですね、深く繋がるのが互いを知るには一番……なワケないでしょうっ!!」
 思わずノリツッコミをかましてしまうちよちゃん。普段のツッコミ役がこんなんなので、代役として獅子奮迅の働きをせねばならず、自然高等技術も身に付いてしまうのだった。
「む、ツッコミのパターンがレベルアップしてきたね。だが、とものパートナーの座はそう易々とは譲れないぞ」
 強力なライバルの出現に、よみはニッとムダに爽やかな笑みで宣戦布告をする。下着姿で。


647 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 22:25:24 ID:xz2CR20m
「いいから服を着てくださいっ。自宅内で犯罪者は出したくありませんから! よみさん、ともちゃんを元に戻すことにもっと真剣になってください!」
「じゃあやっぱり脱ぐしか…」
「脱ぐことから離れて――っ!!」
 青く澄み切った冬の空に、少女の声が高らかに響き渡った。窓を通して、この声量。激情のほどがうかがい知れるというものだ。ああ、無情。
 よみはHAHAHAと笑いながら服を着直した。
「いやぁ、すまない。半分は冗談だから」
「……あとの半分は何ですか」
「やさしさかな」
「何その薬事法違反な風邪薬の成分」
第一どんなやさしさが人をストリッパーに変えるというのだろうか。ああ、『幸福の王子』という寓話があったか。ならばさしずめよみは裸の女王様? なるほど、確かにその手の人には心とどこかに潤いを与えるだろうが。
うわあ、いらねえ。
 その手の人でない少女は肩をがっくりと落とした。まだ午前も早いというのに、布団に潜り込みたい気分だった。
 だが、こうしてたゆたってばかりもいられまい。
 いくら天才と呼ばれた頭脳でも、おびただしく発せられるアレな電波にさらされ続ければ、その影響は免れまい。ともすれば鳥頭になってしまう。変異した鳥インフルエンザ並の危険性を持っているかもしれないのだ、このふくよか気味なノロケ眼鏡から発せられる毒電波は。
 可及的速やかに解決しなければならない。ちよの目が静かに据わった。
 同時に動き出す生命の精密コンピュータ。ニューロンを駆けめぐる生体電気。小さなお下げ頭の中では、様々な案が無数に立ち現れ、消えていく。
 膨大な情報量とは裏腹な、時間ともいえないわずかな時間が流れると、再び小さなため息が小さな口から漏れた。
 今現在、一番有効と思われる手段は、
(やっぱりあそこを使うしかありませんね)
 できれば存在することも隠しておきたかったけれど、仕方ないだろう。

648 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 22:26:03 ID:xz2CR20m
 意を決したちよは立ち上がり、よみの元に歩いていく。その緩んだ笑みの膝元には頭を撫でられご機嫌をとられているとも生物がいた。眉根を寄せてむっつりとしている。小動物は先ほどの脱衣騒ぎにより快眠を妨げられてつむじを曲げてしまっているようだ。
「よみさん」
「ん?」
 今その存在に気づいたように顔を上げる眼鏡に、幼きツインテールは述べる。
「実は調べ物をしようと思うんです」
「うん」
「だから、借りますね」
 と、とも生物を取り上げた。
「なぁっ?!」
 バッ!と、瞬間的とも言える勢いで立ち上がり、よみは少女にガバッ!と覆い被さるように迫った。
 両手をワナワナとかぎ爪状にかざしながら唇を震わす。
「な、何でだ! 何でっっ!」
 半ば予想していたとはいえ、空気すら揺らぐその迫力に、ちよは狼狽えながらも言葉を紡いだ。
「し、調べ物があるんです」
「もう聞いたっ!」
「あの、それは別室のプライベートなとこでしかやれないんです」
「それでっ!?」
「そこは、親も入れたことがありませんから、よみさんにも入ってほしくないんです、わかってください」
「じゃ、じゃあ、その間、ハーマイオニーは私が預かってるから!」
「マイハニーです、英国魔法少女ですか、というか何言わせるんですか、というかそんなことはどうでもよくて、今でさえ冷静さがどっか彼岸あたりにいっちゃった状態なのに、二人きりにしたら何するかわからないじゃないですか。危険です」

649 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 22:28:09 ID:xz2CR20m
 これまでの経緯から考えて、至極当然の論理展開だ。
「だ、だけど、その間ちよちゃんはとも生物と……ダメだっ! それは私のだ! トモセイブツ・イズ・マイン! とも生物に関しては独占禁止法を禁止する!」
「治外法権を適用っ?! いくら存在が人間界を突破したからといって!」
 迫るよみに、とも生物を抱きかかえるように死守する。絶対渡してなるものか、という気迫が幼い身体からも伝わってくる。しかし、この構図、大きなお姉さんがペットを抱えた小さな女の子を襲っている風なのはどうなんだろう。まぁどうでもいい。
 よみはこのままでは埒があかないと思ったのか、ふっと肩の力を抜くとなぜか服の裾を持ち上げて腹部に手を突っ込んだ。すわ、脱衣再び?とちよの身体が強ばるが、どうも違うらしい。
「では取引といこうじゃないか」
 と、取り出されたるは一本のペットボトル。
「は?」
 ちよの頭に疑問符がネズミ算式に増殖する。とりあえずどれからツッコんだら良いのだろう。
 取引? それでペットボトル? 一体どんな価値が? それよりあれはどこから?
 よみが右手に持っている半透明の容器は500ミリの大きさがある。中には同じく透明な液体が満たされており、たぷたぷと部屋の向こう側を揺らしていた。大きさからしてポシェットにも入りきらないし、入れる人もいないだろう。突然出てきた光景は手品を思わせた。
「ふふ、まさかこんなときに腹の収納部分が役に立つとはね。忌むべき皮下脂肪も使いようだな」
「えええぇええぇえっ?!」
 まさか、よみはカンガルーとかの有袋類に属していた? 人外の挙動もそれなら納得できる。だって人間じゃないんだし。

650 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 22:28:42 ID:xz2CR20m
「って、それで納得できるわけないでしょう! どうやったらお腹の贅肉に物が挟み込めるんですか。そんなだったら全国の中年諸氏は大喜びです! 万一できたって、そんな大きなペットボトルじゃ無理でしょう。入り切りません!」
「段になった腹の隙間が四次元に通じてるんだ」
 絶句。ちよの脳内が真っ白になる。
 何なんですか、このヨミえもん。想定の範囲外です。
「で、取引なんだが、とも生物とこれを交換したいんだ。この水はすごいぞー、これがあれば健康になるし、お肌はツルツルになるし、背は伸びるし、胸は大きくなるし、宝くじは当たるわ、世界は平和になるわで、もうこれまでの生活は考えられなくなるぞ」
「風説の流布までっ?!」
 誰か逮捕してください。無理ですか。そうですね。
「身を切るような思いで譲るよ」
 ほら、と手渡す。
「ともの入った風呂の残り湯だ」
手渡されたちよはしばし沈黙、後、慌てて放り返した。
「ち、力の限りいりませんっ! よみさん、何を保存しているんですか!」
「……?」
「不思議そうな顔をしないでくださいっ!」
「私は毎日服用してるんだが……」
「ふ、服よっ……? きょうびブルセラ常連客さえしないことを!」
「飲まないととも分が不足するんだ」
「とも分?!!」
「そうだ、とも分だ。とも分が足りなくなると精力減退などの症状が現れる。常に摂取しておかないとハッスルできないんだ。最高にハイってやつになれない。ご近所で、私がいかにともが好きかを叫びながら跳びまわれない」
「それ摂らない方がいいです! 飲むのダメ! 絶対!」
 とも分摂りますか、それとも人間やめますか、の勢いで制止するちよ。いや、どっちもダメだから。
 ……そうか、ダメなんだよ、もう。
ちよが若くして諦観の域に達していると、

651 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 22:29:17 ID:xz2CR20m
「――隙ありっっ!」
気合いと共に頭上から黒い影が大きく落ちてきた。視界が覆われ、
「あべばっ?!」
 圧倒的な質量にちよの口から頓狂な声が押し出される。
よみのボディ・プレスだった。
 全体重を余すとこなく乗せたアタックは、ありとあらゆる物を圧砕する。今回は本来小学生である幼い子供の色んなものをうち砕いた。その内一つは友情と名付けられたかもしれない。
「YEAHAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
とも生物を奪還したよみの勝利の歓声を、ちよはボロボロのうつ伏せで聞きながら、滲む涙を耐えた。
(お家に帰りたい……)
 落ち着け、ちよちゃん、実家はここだ。
少女は気力を振り絞り、けなげに小さな身体を起こす。
 眼前のよみはもう誰にも渡さないというように、輝く笑顔を上に向けて、その先にとも生物を位置づけていた。
 とも生物を右手に高く掲げる姿は、ユナイテッド・ステイツのシンボルを彷彿とさせた。すなわちそれは自由の女神。まあこの場合の自由ってのは、理性とか人間の尊厳とかからですが。

 ※ただいまそれなりの日米友好関係に無配慮な発言がありました。それなりにお詫びします。

652 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 22:30:53 ID:xz2CR20m

「あれ、ちよちゃん?」
 ちよの背中によみの声がかかる。ちよの右手はドアノブに触れていた。
「どこへいくんだい?」
「例の部屋です」
 背中越しに言葉を投げつける。棘をふんだんに盛り込んだ口調だった。
「好きにすればいいです。よみさんはそこでずっといちゃついててください。でも、絶対に法に触れるようなことはしないでくださいね!」
 捨てぜりふっぽい皮肉に対し、よみはとも生物を抱きかかえのほほんとしている。
「大丈夫だ。一分程度なら完璧に我慢できる」
「それは我慢できてません!」
 M78星雲の某超男以下の辛抱のなさだ。制限時間が来たらどこまでも飛んでいくというのか。
「とにかく、とも生物を使って○○○や×××、あまつさえ△△△しようなんて、思いつくことさえできないよ」
 『私はうそしか言わない』並の誤謬をここに見た。作者が自主規制かけるほどのことが、よみの脳内で荒れ狂っていた。今更だが。
「……もう、いいです、本当に」
だが、ちよはそれでも部屋を出ていくことにした。もはやよみに何をしようとしても徒労に終わるだろうと考えたからだ。
「待ってくれ、ちよちゃん」
 意外なほど真摯な声が、ちよの耳に響いた。思わずちよは振り向いてしまう。
「とも生物、連れていくってさっきまで言っていたよね。本当に連れていかなくていいのか?」
 声と同じく表情も真剣そのものだ。普段のよみの真面目な部分をちよは感じた。
「私のせいも少しはあるけど、ちよちゃんがそんな風になるのは、ちょっと……うん、いや、かなり悲しいかな」
 温かな真摯さの不意打ちに、思わずちよの目頭が熱くなる。先ほど滲んだ涙とは別の意味――感動――によって。

653 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 22:31:39 ID:xz2CR20m
 そうだ。よみさんはいつでも私たちのまとめ役だった。ときどきテンパっちゃうこともあるけれど、大人びた態度はみんなに安心感を与えてくれたし、個人的に憧れを抱く事も少なくなかった。いつものよみさんが帰ってきたのだ。
 よみは言う。
「こんなカワイイとも生物をあっさり放っておけるなんて、そいつは許せんな! もっと私を羨ましがってくれ!」
 そっちかよ!
「誰もそんなナマモノほしくありません! よみさんだけで好きなだけ独占してください!」
「ふふん、そんなこと言って本当はどうなんだ? これでも自分の本心を隠せるかい?」
 よみは後ろから腋を抱えたとも生物をちよの方に向けると、両手と共に押し出した。
「はむフっ?!」
 謎生物と少女との距離が、一気にゼロになった。主に互いの顔の辺りで。
「ほら、かわいいだろ、素直になっちゃえよ」
 ハァハァと息も荒く、とも生物をグリグリと少女の顔面に押しつける。
「ん? どうだい? どうかな? ん? ん?」
 ぐりぐりぐりぐり。
 より熱くなっていく眼鏡の鼻息とは反比例して、急速に冷えていく頭の中、ちよは思った。
 何ですか、これは。新手の児童虐待ですか。
 今現在、大人びた女性が幼女に愛玩動物を無理矢理堪能させようとしているわけだが……まあ、倒錯的な興奮を喚起する絵柄に見えなくもないこともないはずがない。つまり、見えない。ちよちゃん的にかなりガッデムな状態だ。
 少女は確信していた。今、訴えれば勝てる!と。
 だが、翌日の朝刊に自邸が載るのは避けたい。とりあえず、目の前の不快感を両手で押しやった。
「ともぉっ?」
 とも生物の圧迫されたほっぺたがぐにぃと歪む。タコみたいに唇が押し出されて、それはそれは変な顔になってしまっていた。
 いや、これはこれで萌える、などという永久ダイエッターの戯言は放っておいて、

654 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/25(月) 22:33:34 ID:xz2CR20m
「いいですから、それはよみさんが占有しててください! いや、本当に、本当にいいですから、何度も顔で顔に接近戦を挑まないでください!」
 何とか●●新聞勧誘員並のしつこさを振り払う。個人的な話で申し訳ないんですが、本当にしつこいですよね、あれ。
「いやぁ、すまない。四分の一は冗談だから」
「って、割合減ってるじゃないですか! もうよみさんのことが信じられなくなってきます! いい加減!」
「まあまあ私もバターになるのは勘弁だからさ、自粛するよ」
「ホントですか……?」
 差し向ける疑いの瞳。というか、信じる心が残っている自分を誉めてあげたいちよだった。
「まあ見ててくれ」
 とも生物を自分と向き合うように持ち替えて、見つめる。そして、
「あー、かわいーよー、ともー、かわいー」
 頬ずりしまくる。
「一瞬で公約違反をっ?!」
 ウノ政権もここまではしなかった。初めから公約なんて守る気がないのはその他大勢と一緒だが、よみが首相になれば間違いなく日本を変えることが出来るだろう。180度。要するに転覆。
「むふー、すりすりすりすり」
 そのまま融解してしまいそうなにやけ顔で、頭部を振りつづけるよみ。そこには聞く耳など持たん、持ったら負けだと思っている、というような人間的に駄目オーラがいかんなく発揮されていた。
「……くっ」
 もうバターにでもなんでもなってしまえ!
 やぶれかぶれでちよは部屋の外に出ていった。今度は捨てぜりふも無しだった。少女の目の端には、キラリと光るものがあったかもしれない。
そして、主のいなくなった部屋には、すりすりし続ける阿呆が残された。すりすり。

(続k
656 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/28(木) 22:55:42 ID:3l3Y/U8j
「すりすりすりすり……と、おや?」
 ふと違和感を覚え、私は甘美な頭部の振り子運動を中断した。
とも生物のとろけそうな頬の柔らかさが変化していた。たとえるなら、つきたての餅だったものが膨らしたての蒸しパンに変わったかのような。
 身体の抱き心地にも同様の違いが感じ取れた。たとえるなら、濃厚なカスタードクリームがふわふわのホイップクリームになったような。
 どちらも美味いことには変わりない。味わってよし、食べてよし、体内に取り入れてよし。
 しかし、何を食べるかを認識せずに食べるのはよろしくない。あんまんのつもりでピザまんを口に入れてしまった時の、あの驚愕と狼狽の入り交じった気持ち。
誰もがそれに近いものを経験したことがあるだろう。そして二度と同じような羞恥にまみれた行いはすまいと、あの一番星に堅く誓ったはずである。私も同じだ。
 よって、両腕を伸ばし、とも生物を眼前にて観察する。
「んー?」
 とも生物は「んもぉー」とくぐもった鳴き声を上げる。頬を膨らし、口を閉じたままなので、妙な音声変換がなされているらしい。ははあ、なるほど、ほっぺたの感触の変化はドングリを詰め込んだリスのように空気でパンパンにしていたからか。
 でも、なぜ? このパフォーマンス、理解できません。
さらに観察する。とも生物はかわいらしい手足を引力に任せて、ぷらーんとしている。だが、つぶらな瞳はこちらへ真っ直ぐに向けられ、眉根はかわいらしく中央に寄せられていた。
 ……もしかして怒っている?
 怒らせるようなことがあっただろうか。サービス満点でやってきたつもりだったが。むぅう、とも生物に対する奉仕の精神が足りなかったというのか。やはり頬ずりのみではいかんのだろうか。
 頬ではあいまいなのかもしれない。確かにほっぺたすりすりは頭部における最大接地面積を生み出す技術体系だ。だが広さは深さに必ずしも繋がらない。それが愛の不思議なところだ。


657 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/28(木) 22:57:50 ID:3l3Y/U8j
 私の愛。親愛とか情愛とか情欲とか示すためにも、ここはキス、それもディープ・インパクトなやつをかますしかあるまい。深さ。深さなのだ。大事なものは。
とも生物のためなら、瞬時に想像妊娠して自ら産地直送の母乳を与えてやるくらい覚悟完了している私にとって、そんなことは朝飯前のどんぶり飯だ。すなわち超簡単。
 よし、今すぐやってやろう。望むところだ。
 ――いや、待てよ。舌を出しかけながら考え直す。その程度のことでとも生物がヘソを曲げるだろうか。いずれ近々してやろうとしていたことだ。
その気持ちは全てではないにせよ、ある程度は伝わっていたはずだ。ならばここまで態度が豹変する理由にはならないのでは?
 ハッ?! まさか!
 私はとんでもない勘違いをしていたかもしれない。まさか、こいつは、
 ごくり、と喉を鳴らす。
 それ以上のことを求めているのでは?! ○○○や×××や△△△を!? 私に、私にそこまでさせるというのか、この天使の形を取った小悪魔は!


 えぇと、突然すみません。よみさんは、あれだけ大暴れをしてとも生物さんの安眠を妨害した上に、ほっぺたを散々ぎゅいぎゅうに擦りつけた事実を完全に失念していますね。
それ以前に人間として大切なものを失っているので、いまさらアレ的にアレなんですが。(美浜ちよ・談)


熟慮断行。ということで突撃体勢に移行しようと思った私だったが、まだ自分をとどめる何かがあった。わずかな疑念。
 とも生物の身体……何か、大きくなってないか?
そうだ。まだ抱き心地の変化についてはっきりさせてなかった。
 早急に原因を探るべく、より観察を確かなものにするため、とも生物をカーペットに下ろし立たせてみる。
 ころりん。
「おお?」
 立たせ方がまずかったのか、後ろ向きに転倒、仰向けになってしまう。


658 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/28(木) 22:59:11 ID:3l3Y/U8j
 後頭部を打たなかったか心配したが、不幸中の幸い、それはなかった。とも生物が倒れながらもこちらに顔を向けていたため、首が起きていたからだ。
再度、立たせてみる。今度は慎重に。慎重に。……よし。
 とも生物の立ち姿が完成。フィギュアとして売り出せばミリオンセラー間違い無しだろう。無論フィギュアが店頭に並ぶことはないが。独占禁止法禁止法により、保有者が似姿
すらも外部流出を許さないからだ。世界を席巻するのは私をうらやむ歯ぎしりの音だけでいい。
さて、改めて舐めるように観察してみよう。
 ふむ。
 とも生物は相変わらずぷくーと頬を膨らませて、全然恐くない顔で睨みつけている。
しかし、何だ。相変わらず安定性が悪い。生まれたばかりのペンギンのように、ふらふわしている。油断しているとすぐにも背を地につけてしまいそうだ。
 首を後ろに下げ、全体像を注視。
 やはりいつもと違って身体のバランスが変?だな。バランスというのはこの場合、平衡性のことではなく、比率のことだ。とも生物の黄金比にも匹敵するスタイルの比率。神の創りたもうた造形美が、わずかに、大きく、崩れているのだ。
 普段の私であれば、このとんでもない事態に取り乱し、世界を二、三度破壊しつくすだろう。しかし人は成長するものだ。「だが、それがいい」と言えるだけの価値観を今の私
は持ち合わせていた。そう、とも生物との愛のパワーにより私はさらなる高みに登ったのだ。
 レベルの上昇は価値観の多様化だけでなく、さらに冷静さと明晰さの増大をも達成していた。それが私の暴走を押しとどめ、現況で最良の行為、思い当たる節を確認すべく一本の人差し指を立たせるのだった。
「…………」
 ちょい。
 柔らかなお腹を指でつつくと、とも生物はころんと倒れた。倒れてから反動で少し起きあがり、また倒れ、揺れた。
 ゆあんゆよんと小さい身体を揺らしながら、それでもせいいっぱい頬を張り、こちらを上目遣いで睨みつけている。全体的にまんまるくなった姿で。


659 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/28(木) 23:00:19 ID:3l3Y/U8j
 うん、そうか。
 理解した。
 おかんむりなのを表現しようとするあまり、頬を膨らませるだけでいいのを、身体の方にまで空気を送り込んでしまったということか。抱き心地とバランスの理由もこれで解明
した。ぽこんと張ったお腹がその証拠。懸命なる憤りの表現だ。地上に降り立ったふぐの天使、いや小悪魔か。とも生物はなおもぷっくり膨らんだ頬とお腹のまま、仰向け状態でこちらを睨んでいる。

 んー……

 リ ミ ッ ト ・ ブ レ イ ク ! !

感情の瀑布のままに、とも生物へヘッドスライディングする! そして両手と胸でがっちりキャッチング! アンド、ホールディング!
 とも生物の身体に張りつめさせていた空気が一挙に押し出され、頓狂な鳴き声を立てるが私はもうやめられない、止まらない。
 飛びついた勢いをそのままに、四角い部屋の中を丸く高速回転する。運動エネルギーの供給源は、もちろんとも生物に対する愛しさと切なさと心強さだ。すなわち無限大。8万パワーを横にしてもこうはなるまい。

かわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいい
かわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいい
かわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいい

億千万のかわいいが脳内に満ちあふれエキゾチック。
 とも生物の両の眼がナルトになっていたが、初っぱなからトップギアでレッドゾーンに達してしまった私の回転数は、もはやとどまるところを知らなかった。二人が部屋に描く愛の同心円の中心には、つむじ風が生じてすらいた。
ああ、このまま二人だけでどこかに行ってしまいたい。
 幸せのあまりよぎってしまった望み、それが神か悪魔かに届いたのか、その刹那、ふっと何かがぶれた気がした。

DOGOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOON!!!

美浜邸から轟き渡る大音響は、遠く隣町まで聞こえたという。ついでにその音により、一人の和歌山出身の少女がしゃっくりを止められてほっとしたのだが、その話はまたいつか。
「何ですか、今の音っ!」
 ちよが飛び込んできた時には、惨憺たる有様の部屋の中、壁に一人と一匹の形をくり抜いた穴のみが残されていた。


663 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/31(日) 11:00:43 ID:Attay4KJ
 窓を開けると、澄み切った冷気がやさしく顔を撫でた。いい天気だった。雲は全く見えず、青い空がどこまでも高い。午前の太陽のまぶしさに、自然目が細まる。
 爽やかな肌寒さをトレーナー越しにも感じられるようになった頃には、部屋に満ちたコーヒーの香りは大方吹き飛んでいた。手にしたカップを口元で傾け、淹れ立ての香気を鼻腔と口内に再充填。
 うん、美味しい。
 我流のコーヒー道も、結構堂に入ってきたんじゃないかしら。
 つい自画自賛してしまう。だって今日はとてもいい天気だ。コーヒーをたしなんだりするのに、一番大事なのは雰囲気だって思う。運も実力のうち、ってわけじゃないけど、最良の時に巡り会ったのを私のコーヒーの腕に加算してもいいわよね。
部活もないし、仕事もない。ゆかりも今日は来る気配がない。今日は本当にいい日だ。この澄み切った青空のように私の気持ちも…
 突然、鼓膜が叩かれる。携帯電話の着信音がけたたましく鳴っていた。そのメロディに私の気持ちは一転、青空、ならぬブルーに塗り潰される。
 着信音は設定を変えることで、相手によって違う音が流れるようにできる。今流れている「マイ・フェア・レディ」のテーマは、否応なく彼女の姿を浮かび上がらせた。
かといって出ないわけにはいかない。着信拒否なんてもってのほかだ。それどころか私は慌てて電話を取りにいく。待たせると機嫌を損ねてしまうかもしれない。
「もしもし? おはよう」
 内心の煩悶を悟られないように、さっきまでの爽やかな気分を努めて演出する。
『おはようございます、黒沢先生』
かわいらしい声が機械を通して耳に届いた。


664 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/31(日) 11:01:33 ID:Attay4KJ
思えば私の不適切な発言が自らの不幸を招いたんだろう。
 それでも自己弁護するわけじゃないけど、不可抗力なのよ? ホントに。
 だって大の大人が二人もいて、晩ご飯はただのカレーにしようって時に、偶然そのスーパーにいた女の子は自分で料理作るっていうのよ? それも「かぼちゃのサラダ」と
「そら豆と豚肉の炒め物」。ついでに何かのスープつき。後でそれは「ミネストローネ」ってわかったんだけど、もうサラダの時点でカレーに勝ち目はなかったわ。
 こんなしっかり者がまだ11歳だったわけよ。現時点でも料理能力というスキル身につけているんだから、将来を考えれば有望どころじゃない、超安定花嫁株よね。誰から見ても、ちよちゃんは理想のお嫁さんになれたわ。
 だから仕方ないでしょ? 「ちよちゃん、結婚して」って、ごく自然に口から出てきてしまったって。思いもしないじゃない。その言葉がまさか現実に受け入れられるなんて。
後日、ちよちゃんの親に呼び出された。担任でもないのになんでだろう、と疑問に思ったけど、これまたなぜか、校長からの命令で行かざるを得なかったのだ。個人的な相談があるからだ、と。
 初めはゆかりがロクでもないことをしたかと心配していた。自分に思い当たる節がなかったから。でも、そうじゃなかった。


665 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/31(日) 11:02:08 ID:Attay4KJ
自分の部屋の六倍はあろうかという応接室には、ちよちゃん一人だけがいた。そこで差し出されたのは、紺のビロードで覆われたケース。開けると綺麗な銀色のリングがあった。
「先生の求婚、お受けします」
 小さなお下げがぴょこんと傾いた。
……始め何を言われているか理解できなかったわ。「先生」というのが自分だって情報さえ、脳が受け入れを拒否してた。
「あ、あはは……ちよちゃん、どこに隠しカメラがあるの?」
 ようやく出てきた言葉は、こんな間の抜けたものだったの。ドッキリなんじゃないかって、思ったわけね。もちろん違ったわけだけど、ちよちゃんの返答はこうだった。
「それはもう、ありとあらゆる場所に」
 ややあっけに取られたものの、瞬間的にホッとした。なんだやっぱりドッキリか。ずいずん手が込んでいる。……もちろんその考えは直後に否定されるわけだけど。
「見てください」
 ちよちゃんが手にしたリモコンのボタンを押すと、畳一枚分はあろうかというモニターにその映像が現れた。
『ちよちゃん、結婚して』
 あのときの私の台詞だ。それが映像付きで画面の中に。
 画面が切り替わる。
 『ちよちゃん、結婚して』
  お下げの後頭部に向かって私がしゃべっている。つまり別角度からの映像だ。
 さらに切り替わる。
『ちよちゃん、結婚して』
 今度は私たちの頭頂部が映される。
 そんな感じで8つの方向からハイライトで告白シーンを見せつけられた。
 何も言えず口を開けっ放しにしている私に向かって、ちよちゃんはにっこりと言った。
「結婚式では是非上映しましょうね」
 断る選択肢があったんじゃないかって?
 その直後に両親からお祝いの電話が入ってきても?
 五カ年計画でセッティングされた結婚式の計画を、予算込みで見せつけられても?
 ちよちゃんに「そういえば黒沢先生のお尻、ほくろが二つあるんですね。いつもは水着に隠れれてわからなかったけど、かわいいです♪」なんて言われても?
 二人で向かい合って座った時には、もうチェックメイトされてたのよ。
 ……そこまで考えて、ふと私は思ったの。

 もしかしたら、私は「結婚して」って言ったんじゃない、言わされたんじゃないか……。

 深く考えると怖すぎるから、考えないようにしてるんだけど。


666 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/31(日) 11:03:44 ID:Attay4KJ
「黒沢先生」
 呼びかけられてタイムスリップしていた思考を戻す。
「突然呼んですみません」
「いいのよ、で、どうしたの?」
 実のところ前触れなく呼び出されるのは慣れている。今日は手を握りながら映画鑑賞、それとも膝枕でシエスタだろうか。
 だけど、ふと気づいた。いつも出てくる紅茶とお茶請けがない。
「説明するより見ていただいた方が早いので、こちらを」
 向いた先には巨大なモニター。あまり気持ちの良くない思い出がフラッシュバックする。
 一畳の黒画面に刹那の光点が一線に広がり、映像が開けた。
『とも〜♪』
映像が広がったことと対照的に、瞳孔が点になる。
 二頭身の人型生物がニコニコとこちらに向かって愛嬌を振りまいている。
「何、これ」
 自分の常識では計り知れない出来事にそれしか言えない。
「とも生物です」
「とも生物?!」
「恐らく人畜無害なので心配ありません。心配なのはむしろ飼い主の方です」
「どういうこと?!」
 何重周りも年の離れた子供の言うことに、単純な言葉しか返すことができない。
「見てください、これがその飼い主です」
『あー、かわいーよー、ともー、かわいー』
 画面いっぱいに映し出される緩みきった顔。目尻は垂れ下がり、口からはよだれが垂れている。ほっとけば鼻血すら流れ出てきそうな勢いだ。何というか「だらしない」という単語を辞書で引いたら、挿絵として載っていても妥当と言えるほどのだらしなさだ。
「確かに、危険なほど心配ね……!」
「そうでしょう……!」
 間に稲妻が走るほどの緊張をもって、二人の気持ちが通じ合った。
「そしてこれが」
 手元のリモコンが操作され、画面が切り替わる。
「私の部屋です」
 人型に開いた穴が映る。
「二匹の人外がじゃれあったまま壁に激突して、そのままどこかへ行ってしまいました」
「何てアメコミ調なの……!」
 あまりの戦慄に、豪邸の応接間はざわ……ざわ……という擬音に包まれていた。


667 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/31(日) 11:05:32 ID:Attay4KJ
話を聞けば、アレらはゆかりクラスの滝野智と水原暦のなれの果てであるらしい。あまりの変貌っぷりに気がつかなかった。
 ちよちゃんが私を呼んだのは、そのことについて相談するためだそうだ。確かに、高速で転がりでて行方不明というは一大事だ。かといって、警察を含め、こんな珍事は誰に言
っても理解してくれないだろう。私の場合は信じられる。ちよちゃんが冗談を言うような子じゃないことは骨身にしみこまされているからだ。

 じゃあこちらに、と応接室を出て、物置に案内された。
 薄暗く、冷たい空気で満ちてはいたが、かび臭さどころか埃っぽさもない場所だった。手入れが行き届いているからだろう。
 この場所に誘導されたことの疑問を口にする前に、幼い手が「よいしょ」と床の蓋を開ける。唐突だったのでびっくりした。床に開いた空間をのぞき込むと、
「ハシゴ?」
 人一人がくぐれる位の正方形の穴は、そのまま深く下に続いている。
「滑らないように気をつけてください」
 促されるまま、慎重に手足を動かし降りていくと、下からの照明が強まってきた。足下が白く見える。
 靴下の底を床につけ、周りを見渡すと、5メートル四方の部屋だとわかった。目の前には応接間のものより二回りは大きいモニターがあり、それを何だかよくわからない機器が
囲んでいる。ちりばめられた各種豆ライトとスイッチがどんな役割を持っているのか、多分説明されても理解できないだろう。
 こんな部屋があるなんて。お金持ちの家にはみんなこういう地下室が設置されているのかしら。
「二匹の行方を解析します」
 モニター正面の背もたれのついた椅子に座って、ちよちゃんはコンソールをいじくり始める。
 ところで今更気づいたが、クラスメートを匹で数えるのはどうなんだろう。
「あ、出ました」
 モニターに縦横に走る線、地図、そして赤い光点が現れる。
「これが二人?」
「そうです。ここから200キロほど離れたあたりを、高速で北上してますね」
 赤い点を中心に地図が動いている。縮尺がどの程度かわからないが、かなり高スピードであることは間違いないようだ。何しろ、高速道路上に二人はいる。高速料金は払ったのかしら。


668 名無しさん@ピンキー New! 2008/08/31(日) 11:06:05 ID:Attay4KJ
「でもすごいわね、二人のいるところがすぐわかったなんて。どういう仕組み?」
「仕組みというか、携帯電話に仕込んでおいた発信装置があるんです」
「え?」
「他のみんなにも同じように仕込んであります。というか私の周りにいる人全てにですね。盗聴も可能です。私に何かあったらすぐ始末屋、もといボディーガードがやってきますし、秘密を握っておくと色々便利ですし」
「あはは……」
 乾いた笑いしか出ない。今までどういった活用がされてきたのかとか、たとえばどういった秘密を入手したのかとか、とても怖くて聞けない。ええと、当然その仕込みは別のクラス担任にもされているんでしょうね。
 私の心を読んだように、ちよちゃんがモニターから振り返って事も無げに言う。
「もちろん黒沢先生のプライベート情報は、誰よりも濃厚に収集してありますから安心してください。日に一度はそれを眺めてうっとりするのが、私の憩いの時間になってます」
 ふらり。
 視界のバランスが傾く。
「く、黒沢先生?」
 ちよちゃんが慌てて、私を支える。
「だ、いじょうぶよ。ちょっと精神的に大きなダメージを負っただけ」
「いけないです、ちょっと休んだほうがいいです」
 そう言って、指をコンソール上に走らせると、
 ウィイーン。
 壁から巨大な円形がせり出してきた。ベッドだった。ゆっくりと回転している。天井を見てみると、パネルの一枚一枚が次々と回転して一面鏡張りに模様替えされていた。ああ、そうか。『休んだほうがいいです』。ご休憩できるホテルと同じ仕様なわけか。
「か、帰りたい〜っ!!」
「お、落ち着いてください、黒沢先生。終の棲家はここです」
 軽く終身刑を宣告された私は、身を横たえたい気持ちを抑えて、ベッドを丁重に辞退するのが精一杯だった。

673 名無しさん@ピンキー New! 2008/09/07(日) 15:25:06 ID:aHWKZUDk

 男は死にかけていた。
 身体は寒く、冷たく、凍えていた。
 セーターを着込み、上にはカッパ、そして寝袋に身を包んでいた。にもかかわらず、冷気はそれら全てを透過して骨の髄までを突き刺してくる。くじいた足の熱さすら麻痺するほどの、痛覚を伴う冷気。
 外の吹雪はほとんど真横に激流となっている。ひとたび足を踏み出せば、真っ白に飲み込まれてしまうだろう。無慈悲な自然の前に、人間は圧倒的に脆弱である。まだ生命の灯火が存在することの方が不可思議だとさえ言えた。
 なぜこんなことになったのか。凍りかけた脳で男は考えつづける。思考の停止が命の停止と同義であると、気づいているかのように。
 装備は万全だったはずだ、心構えも含めて。当然だろう。冬山に登るのだ。装備は最悪の事態を想定して為されなければいけない。毎年の登山において、そのことは必ず肝に銘じていた。
 だが、積年の経験が油断という忌み児を生んだのではないか。山小屋にたどりつくことを前提に考えていて、たどりつけなかった場合を想定していなかったのではないか。
 事実、慣れた道だと過信して道に迷い、無理を押して突き進み、足を踏み外した。偶然に洞穴を見つけなければ、今こうして震えることすらできなかったろう。
 携帯電話は通じない。火をおこそうにも携帯コンロは転げ落ちた際に壊れてしまい、燃やせるものは紙幣も含めて全て燃やしてしまった。洞穴には枯れ枝などがいくらかあったが、堅く凍りついてしまって、どんなに試みようにも頼りなく煙をのぼらせるばかりだった。
目の前に虚しく集積された枯れ枝にため息をつく。その吐息さえ弱々しく、冷気にかき消された。
 もうあきらめるべきかもしれない。
 ボールペンの存在を頭の隅で引っ掻く。
 遺書を書こう。書き付けるものはないから、身体に書き込んでおこう。
気力をかき集めればそれくらいのことは何とかできるだろう。
 そうしたら眠ろう。三日ぶりの睡眠は格別だろう。凍死は気持ちのいい死に方だと聞いている。文字通り眠るような死が訪れるだろう。

674 名無しさん@ピンキー New! 2008/09/07(日) 15:27:46 ID:aHWKZUDk

DOGOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOON!!!

「うわぁああぁああああぁああああぁああああっ!?」
 大音響と共に飛び込んできた大きな物体に叫び声を上げる。自分でもここまで体力が残っていたのかと驚くくらいの大声だった。
 160pほどの長さを持った円筒形の物体が、高スピードで接近、急停止して眼前にいる。
「あーともーっ! かわいすぎるぞコノヤロォーッッ!!」
「トモモモモモモモッ?!」
 それは高速で回転し続けながら人の声を発していた。その回転の中で、どうやら何かと何かが頬をすりつけて合っているらしいのがうかがえる。あまりに信じがたい光景なので断定はできなかったが。
「お、おおっ?」
 遭遇した未知が擦りつけ合っている周囲の空気が歪みはじめる。熱気だ。信じがたいことだが摩擦熱が生じて、周囲の冷気を駆逐しているのだ。
 シュぼッ。
 永久に沈黙する運命だったはずの枯れ枝に火がついた。ついに発火点に達したのだ。
「ともーっ! ともーォ!」
「トモモモモモモモモッ!」
 雄叫びと大音響を再び起こし、未確認回転物体は洞穴から飛び出していった。
 あっという間の出来事だった。
 目の前には、パチパチと小さくはぜながら燃える命の炎。そして洞穴を満たす早春の暖気。男に活気が戻ってくるのに時間は掛からなかった。
 その後、男は救助隊に助けられ奇跡の生還を果たした後、本を執筆する。ベストセラー『冬山でUMA〜奇蹟への軌跡』である。


675 名無しさん@ピンキー New! 2008/09/07(日) 15:28:58 ID:aHWKZUDk
「いけませんね」
 モニターを見ながらちよはつぶやく。
「どうしたの? もう今更何があっても驚かないけど」
 とも生物とその飼い主の移動スピードがマッハに達し、かつ中心温度が数千度、さらに行動領域が海上にまで到達してそのまま沈むかと思いきや、海面を水切りの如く滑走しているとなっては黒沢教諭の弁もうなずける。
「見てください、あの二匹の温度上昇によって温暖化が進んでいます」
「そんなに?!」
 冗談だとか嘘だとかそんなチャチなもんじゃないことは、モニターに映し出された世界地図と各地の過年度比較の温度グラフが如実に示している。温度上昇が起こったことは先ほどの分析で分かったが、まさかそこまで。
 それにしても、温度上昇の理由を分析した時、コンピュータの弾き出した結果が「人智を超えたスキンシップ」・「計測不能の愛のボルテージ」だったのには参った。衝動的に
コンピュータの自爆ボタンを押そうとするちよちゃんを必死でなだめたのである。大変だった。なにしろ自分も押したくなっていたのだから。
「しかも進路先を見てください」
 海上の赤い点、その予想進路方向を表す点線が伸びていく。そして……
「あっ」
 思わず小さく叫ぶ。これはまずい。確かに、本当に、まずい。
「そうです、南極です」
 環境学に関して人並み程度の知識しかない体育教師にも、重大性はすぐ理解できた。間違いなく南極の氷は溶けきってしまうだろう。そして、海面の上昇により、多くの島が沈
む。いや、その前に急激な氷の溶解で大津波が臨海地域を押し流すだろう。未曾有の大災害が世界を襲う!
「ど、どどどどどうしよう、ちよちゃん」
 思わず道路工事でうろたえる黒沢先生。
「そうですね、とりあえずこちらも負けずに愛の炎を燃やしてみますか?」
「えっ」
 少女の口の端が上がっている。気づくと円形のベッドが背後に再登場。背中に一筋の冷や汗を感じ、ビクッと身体を強ばらせる。
「あ、あの、ちよちゃん?」
「冗談ですよ」
 ふっと顔がほころぶ。あまりにも穏やかで、今の色々と危機的状況を一瞬忘れさせるような笑みだった。
「対策はあります。落ち着いていきましょう」
 窮地においてもジョークを交えて冷静に。美浜家に伝わる帝王学の一である。



676 名無しさん@ピンキー New! 2008/09/07(日) 15:29:54 ID:aHWKZUDk
 湿度を伴った熱気。太陽は高く中天にかかっており、それに向かって真っ白な入道雲が背を伸ばしている。
ただ広いだけが取り柄の公園が、こういう天気の下では雄大さを帯びるものだな、と思いならが老人は腕を回す。
 その腕は、年齢を忘れたかのように力強く、太い。そして、毎日飲んでいるコーヒーに染められたかのように褐色である。
 この地に来て早二年、まさか再びお嬢様の声を聞くことになるとは思いもしなかった。国際電話を通して聞こえる声は、以前よりも大人びていた。挨拶もそこそこに申し訳なさそうにされた依頼。それは、やはり自分にしかできないことだった。
 ……できるだろうか?
 ブランクがあるのは否めない。体力は全盛期に比べれば見る影もない。しかも、対象は信じがたいほどの高速、かつ高温であるらしい。下手をすれば、今日この日、ブラジルの一角にあるこの公園が自分の死に場所になるかもしれないのだ。
 だが、それでも。
 老人は綱を握りしめる。
 あの可憐な少女の頼みとあらば、枯れ木に花を咲かせるくらいの奇跡は起こしてやらねばなるまい。


677 名無しさん@ピンキー New! 2008/09/07(日) 15:30:38 ID:aHWKZUDk
「前田さんは引退してからブラジルへ移住しまして。そこで余生を送ろうと決めたわけです」
「どういう人?」
「うちでひいきしていた曲芸師です。慶事にはいつも来てもらってました」
「あ、うん、だからどうしてこの人にお願いを?」
 モニターに映った白髪の男性の顔は、深い皺と濃い眉毛、そして静かな眼光が、昔気質の職人を連想させた。実際仕事も堅実だろうが、今回のハザード(災害)に対しては適切な人材とは思えなかった。
「まあ見ていてください」
 ブラジルからのライブ映像には白昼の公園で仁王立ちする老人が映っている。手には縄、いや綱が握られている。綱引き用の綱だろうか。とても太く、長い。
「あと少しで目標と接触します」
 ちよの言葉と共に、職人・前田の身体が何かを感じ取ったかのように反応する。腕がモニター越しからでも分かるくらいに盛り上がり、握った綱を波打たせる。大蛇みたいだと黒沢は思った。
 公園の向こうで間欠泉のように土ぼこりが吹き上がる。
「来ました!」
 叫んだ瞬間、地面をもの凄い勢いで堀り削る高速回転物体が老人の眼前に接近! それは、映像を早送りしたかと勘違いしそうなるほどに高速。ただ一人の人間にどうにかなる代物ではない。
 だが、前田は気合い一閃、綱を既に投じていた。タイミングを計ったように、茶褐色の大蛇が獲物に絡みつく。高速の回転に合わせぐるぐると綱は巻き付き、同心円をみるみる巨大にしていった。
 そして、大きさが最大値に達し、老人の横を衝撃波と共に通り過ぎたとき、雄叫びが綱を横に振る! 動きに連動して、綱は上方へ、そしてとも生物たちは宙に舞い上がった。
「すごい!」
 思わず声を上げる黒沢先生。人一人が、しかもかなりの歳である人がこのようなことができるとは。人間の持つ遙かな可能性に感じ入らざるを得なかった。
 ちよちゃんは言う。
「前田さんはコマ回しの達人なんです。特に巨大ゴマを回すことには右に出る人はいません。ギネスにも東京ドーム一つ大のコマを回した人で記録されてます」
 ちなみに彼はこの一件の後も、地元でコマ回しの普及に寄与し、人柄が好かれたこともあって世界的な有名人になった。通り名はコンデ・コマだ。


678 名無しさん@ピンキー New! 2008/09/07(日) 15:32:07 ID:aHWKZUDk
美浜ちよの見込んだとおり、彼の仕事は任務を見事に達成した。動きに逆らわず、逆に力を利用し巨大な運動エネルギーをコントロールしたのだ。
 日本が誇る巧みの技によって、一匹と一人は地上数十メートル上空にいた。横に加えられたベクトルで、回転軸は横から縦に変化している。そして、引力に従って地上に墜ちてきた。
「これで回収できますね」
 そうね、とうなずこうとして、黒沢先生はぎょっとする。
 地上に着地したと思ったら、とも生物たちはそのまま姿が消えてしまったのだ。
「え、ええ?!」
「あれほどの強力な回転ですから、ドリルのように土を掘り進んでも不思議ありませんね」
 予想していたことを示すように、少女は落ち着いていた。前田氏ののぞき込む穴は深く、ぽっかりとした黒を見せている。どこまで続くものか、掘り出すとしたら相当の作業になるだろう。
「大丈夫です。黒沢先生、なんで作戦をブラジルで行ったのかわかりますか?」
「え?」
「日本の裏側には何があります?」
 いたずらっぽい微笑みの問いかけに、体育教諭は急いで頭の中に地球儀を引っ張り出し、ひっくり返してみる。しかし、数年はしまいおきだったために形はいびつになっていて、役に立ちそうにない。
「あの……ブラジル?」
 仕方なく質問を改変して解答に仕立て上げる。
「そうです。正確にはアルゼンチンの西になりますが、位置的には近いです」
「あっ」
 そこでようやく気づく。つまり、このまま掘り進んでいけば……
「後は日本で回収してゆっくり二匹の復元方法を考えましょう。とりあえず、熱を冷ますための液体窒素をタンク車で持ってこさせますか。固めておけばここのコンピュータで解決策を分析する時間も取れますし」
 一応事態は一息つける段階まで収束したようだった。さっそく黒沢先生はほっとため息をつく。音が重なって横を見ると、ちよちゃんもため息をついていた。顔を見合わせて笑みを交わす。

679 名無しさん@ピンキー New! 2008/09/07(日) 15:34:54 ID:aHWKZUDk
「あれ?」
 ふと画面に目をやって、ちよちゃんが怪訝な声を上げる。
「どうしたの、ちよちゃん」
「回転が止まっちゃいました」
「ええっ?」
 モニターに大きな円形が現れる。地球の断面図だ。中心の赤い点は、とも生物たちだろうが、それがピクリとも動かない。
「何があったんでしょう……? でも熱は上がり続けてますし」
「携帯から盗聴してみたらどう? 発信器は使えるみたいだし」
「さすが黒沢先生です。慣れてますね」
「ええ?!」
今度私も盗聴してください、と言いながらちよちゃんはコンソールに指を這わせる。
 ピー……ガガー…
しばしのノイズの後、はっきりとした音声をとらえた。
『とも〜いいなぁここは〜』
『ともー♪』
『誰もいないし落ち着ける、私たちの愛の巣だなぁ!』
『ともも〜♪』
「………………………………」
「………………………………」
 教師と少女が顔を見合わせる。二人の顔には共通の感情が表れていた。
「一生ほっときましょう」
「そうね」
 即決だった。
 それから、とも生物たちは地球の中心部にいるようになり、膨大な熱エネルギーを発し続けました。それがマグマの始まりだということです。
 
  〜世界はじめて物語 完〜

 

 

 

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