969 名前:『あなたを待つ理由』【序】 :2005/08/21(日) 06:31:17 ID:KDcmmt4d

 

真っ暗な外にはしんしんしんしん、灰色の雪が降る。教室の窓越しに、榊はソレを眺めていた。
座っているのは大柄な自分には少々合わない机。自分の長身が悪いのか、それとも学校側の配給ミスなのか、約一年間、この合わない机の世話になってきた。
窓から見える校庭にはもう明かりはついていない。部活動はとうの昔に終わって、ほとんどの生徒は下校しているはずだ。
ならば何故自分は残っている?普通ならば暗くなる前に帰るはずだ。今は冬で、しかも真冬。日が落ちるのもずいぶん早くなってきている。
5時を時計が指すころには、もう街灯の明かり無しでは一寸先も見えないような日々が続いているのだから。だというのに、時計は既に7時を回っていた。もちろん理由はあった。
しかし明かりもついていない学校の教室で、普段なら先生に見つかればどうなるか分からないという…そんな時刻に自分はここで何をしているのだろう…。
それは…

「……榊?」

少年のような透き通ったアルト。高くは無いが、それでも男声に比べれば幾分も柔らかな響き。待ち望んでいた声が自分を呼ぶ。だから、ゆっくりと振り返った。



 

 

970 名前:『あなたを待つ理由』【序】 :2005/08/21(日) 06:32:50 ID:KDcmmt4d

 

そこに立っていたのは、少し背の低い、しかし鍛えた人特有の肩の広い少女だ。シャギーを入れたショートヘアが、
いつも挑戦的な猫を思わせるつり目とよく合っている。見ただけで、快活な少女であるとわかる、そんな容貌だった。自分と同じ学校の制服。
しかし大柄な自分とは対照的に、目の前の少女はそれがとてもよく似合っていた。一言で言うならば、可愛いと思える。自分の級友であり、親友であり、ライバル(ほぼ一方的に言い渡されたのだが)でもある少女。

「…神楽……」

その名を呼ぶ。それだけで、心拍が少しだけ上がったようにも思える。
名を呼ばれた相手は少し首をかしげ、目線で「何?」と訊ねてきているかの様だ。それには答えずに、もう一度視線を窓の外にやる。
相変わらず、外は雪だった。

「やっぱここだと思ったよ」

そんなことを、本当に少年のような口調で口走りながらゆっくりと歩み寄ってくるのを背後に感じる。それれも振り返らなかった。
しかし、足音は構わず近づいてくる。



 

 

971 名前:『あなたを待つ理由』【序】 :2005/08/21(日) 06:34:25 ID:KDcmmt4d

 

「……どうして……」

そう思ったの?最後まで口にしないのは、生来の口下手故。それともう一つ。後ろの少女ならば、それだけの言葉でも、
自分の言いたいことは全部理解してくれるだろうという、何の根拠も無い、他の誰にも抱かない奇妙な安心感からだ。
彼女、榊という少女は誤解されやすい。普段から無口で、無愛想。そして女としては高すぎるくらいの身長と、
それに見合う大柄な体躯。そして、冷たいと思わせる視線。本人の意思はそっちのけで、榊という少女は怖い、
という先入観を他人に抱かせるのが彼女の常だった。
榊にとってそれは、遺憾とは言わずともとても不本意なことだった。生来の外観とは裏腹に、榊の気質は大人しい。
暴力なんて大嫌いだし、運動は出来るが好きという訳でもない。無愛想でクールに見えるのは単に口が下手なだけで、
本当はたくさんの友達に囲まれて楽しくお喋りすることにずっと憧れていた。だというのに、見かけがこれだから、彼女はそれらを諦めてきた。
諦めざるを得なかったという方が正しいのかもしれない。何せ、歩み寄るのは苦手な榊に、向こうから離れていってしまうのだから。
榊はその身体的特徴が顕著になり始めた小学校の後半から中学生の間、何の理由も無く、孤立していた。
今の高校を選んだのは、少しでものんびりとした校風の学校をと、学区内で探した結果だった。それでどうなると榊自身特に期待していたわけではないが、
それでも友達は欲しかったし、夢も諦め切れなかった。


 

 

972 名前:『あなたを待つ理由』【序】 :2005/08/21(日) 06:35:24 ID:KDcmmt4d

 

今ではこの学校を選んだことを喜ばしく思っている。やはり最初はこの身長と顔立ちから敬遠されていたような節があったのだが、
クラスで一番の元気印のような娘に目をつけられてから、それも少しずつ薄れていったように思える。なによりも、念願の友達が出来たのだ。
その娘の友人グループと付き合うようになって、次第に打ち解け友達付き合いをするようになってからというもの、自分は周囲のイメージと共に、
自分自身も、何か変われたような気がする。

そして一年が過ぎ…榊は掛替えの無い出会いをした。

「だってさ、賑やかなの、嫌いじゃないけど苦手だろ?あんたは」

言葉に重なるように、ギシッと軋む様な音がする。そして、寒かった教室に熱を感じた。


 

 

973 名前:『あなたを待つ理由』【序】 :2005/08/21(日) 06:36:38 ID:KDcmmt4d

 

視線を少し動かせば、机に腰掛けている神楽の背中が見える。榊の机に腰掛けているのだ。すぐ傍にある少女の体が、
確かな熱を榊に伝える。

「……うん…」

当たっている。確かに、榊は賑やかなところが苦手だった。友達と集まり、わいわいと遊ぶのは楽しいし好きだ。
しかし、それでも疲れるのが早いのはどうしようもない。
榊は今度こそ、顔を上げて机に座る神楽の顔を見た。同時だったのか、神楽も振り返り榊を見下ろしている。
そして、神楽はいつもの笑みでにっこり笑った。

「大丈夫か?」

気遣ってくる神楽の言葉。頷いて返事としておく榊。「そっか」と、そっけないが安心したような返事が返る。
「戻るか?」と神楽が再び切り出し、「…もう少し…」とぼそっとした声で榊が答える。再び「そっか」と神楽。
これが彼女たちのいつも流の会話方式だった。
傍から見ていれば一方的に神楽が話しかけ、榊が横に流しているようにしか見えないのだが、それはそれ…
二人の間ではそれが会話であることはもはや疑いようも無い事実だった。


 

 

974 名前:『あなたを待つ理由』【序】 :2005/08/21(日) 06:37:23 ID:KDcmmt4d

 

「…なんか寒いな」

「雪……だから…」

二人して窓の外を眺める。しんしんと降り続ける雪は勢いを衰えさせない。灰色の雪は空から零れ落ちるように地面へと積もっていく。
二人は食い入るように雪の降る様子を見つめ続けていた。しんしんしんしん、雪の降る音が耳ではなく心に響く。
実際の音は時計の秒針が動く音だけ。かちかちかちかち…何かを急かし立てるように音が響く。

「なぁ…戻らないか?」

神楽が再度、榊を促す。

「ここ寒いしさ…皆待ってるぞ?」

神楽は出入り戸を見ながら言葉を口にする。榊にもそれは分かっていたし、いつまでもここにいるつもりは無い。しかし、それでも待っていたのだ。待っていたのだから、目的は果たしておきたい。だから…

「私はここで…神楽を待ってた……」

「へ?」

間の抜けた神楽の声が、どことなくおかしかった。

<続>

 

978 名前:『あなたを待つ理由』【1】 :2005/08/21(日) 13:12:03 ID:1WAo1SKw

「私はここで…神楽を待ってた……」

「へ?」

間の抜けた神楽の声が、どことなくおかしかった。





―――あなたを待つ理由―――





事の発端はいつものトラブルメーカーからだった。

「終業式後は学校でクリスマス会!!」

そう高らかに宣言した悪友、滝野 智…通称ともは、大声で言ってブイサインを向けてきた。
言ったら実行がこのグループのモットーだ。ストッパー役でありグループのまとめ役の水原 暦は文句をブツブツと言いながらも、担任教師であるゆかり先生こと谷崎ゆかりをも巻き込んで
(自動的にゆかり先生の親友である黒沢先生も計画に加担することになる)、着々と学校でクリスマス会の準備が進行していった。実質クリスマスには一日早いのだが、この勢いの前にはそんなことは些細なことで、
あっという間に暖が取れる視聴覚室を陣取って、クリスマス会の手筈は整った。いくら長期休校に入った直後とはいえ、教師まで一緒になって学校でパーティーなど、バレたらまずいのではないのかと疑問にも思ったが、
「大丈夫大丈夫」の一言で片付けられてしまった。それが現役英語教師の言葉なのだから信用するしかない。絶対にばれない自信があるのか、本当にバレても大丈夫なのかは分からなかったが。


979 名前:『あなたを待つ理由』【1】 :2005/08/21(日) 13:14:16 ID:1WAo1SKw

「でも夜まで学校にいられるのってなんかわくわくするよな」

終業式前日の帰り道、神楽はそう言って笑っていた。神楽は水泳部に所属していて、その部活が無い日は殆ど榊と帰りを共にする。
特に冬は水泳部はシーズンオフであるため、頻繁に帰りが一緒になった。
神楽の言葉に榊は小さく頷く。学校とは昼間行くもので、夜は縁遠いものだ。わくわくする、とまではいかなくともどんなものか興味はある。
しかし何よりも榊がクリスマス会を楽しみにしているのは別の理由があってのことだったが。しかしそれを神楽に話すわけにはいかなかった。
いや、話そうと思えば話せる。別段変なことではない。しかし、話してしまったとして…その奥にある自分の本心が露呈してしまうのを、榊は恐れていた。
榊はとてもクリスマス会が楽しみだった。なぜならば…

神楽と出会って初めてのクリスマスだったからだ。



980 名前:『あなたを待つ理由』【1】 :2005/08/21(日) 13:15:47 ID:1WAo1SKw

 

その日、神楽と別れて家路についた榊はまずは後悔し、そして安堵した。

言えなかった事
バレなかった事

どちらも同じ事のはずなのに、何故かそれぞれが独立した二つの意味を持つかのように錯覚してしまう。

言いたかった事
知られたくない事

そのもどかしさに、何度苦しんだか知れない。

榊と神楽は正反対の気質を持つ二人だった。共通するのは共に武芸百般と認識されていること。
特に神楽は水泳部の記録ホルダーでもあるし、その気質を隠さないものだから、より顕著と言えた。
そのどちらかと言えば男性的な魅力とも言える特徴を持つ二人だけに、
榊と神楽が並んでいると学校ではいわゆる「公認カップル」のような扱いを受けた。無論冗談が半分以上含まれる言い回しだ。
実際、クールで背の高い榊と、熱い性格で背が低い神楽は実に対照的と言えたし、とても目立つ。そして二人とも下手な男よりも凛々しいと来れば、
羨望の視線も含めてそういう扱いをされるのはごく自然だろう。少なくとも本人たちの意思を除けば、そう珍しい事ではない程度で済まされる。
しかし本人達にしてみれば、不本意以外の何物でもなかったりするのだが。

 

 

981 名前:『あなたを待つ理由』【1】 :2005/08/21(日) 13:17:41 ID:1WAo1SKw

 

そう、本人……つまり榊にとっては、それだけでは済まない事になっているのだ。

気付いたのは夏の終わり頃。神楽に付き合って二人で買い物に行った時が、一番顕著にそれを感じられた。感じた時にはとても戸惑ったし、嘘だと自分に言い聞かせもした。
悪い夢だとも…今思えば馬鹿馬鹿しい考えだったが…思ったりもしたのだ。信じられなかったと言っても良い。だって当然だ。誰が信じられるだろうか…学校の誰にそのことを告げたって…誰もがそう思うに違いない。

榊が神楽に、劣情を催したなどと…榊本人以外の誰が知ろうか。

榊はそれが何かと突き詰める前に、親友に対してそんな浅ましい考えを持った自分をまず呪った。神楽が一方的に押し掛けた形の友情ではあったが、少なくとも夏を迎える頃には、榊も神楽の事を親友だと思えるようになっていた。
そのことを喜んでいたのだ。それが、喜んでいた矢先の出来事だった。だから信じられなかったのも、自分が許せなかったのも無理はない。

(せっかくできた親友になんてことを考えているんだ私は…!)

こんな感情が知られれば、神楽だって気味悪がって自分に近寄らなくなるに違いない。それだけは絶対に避けたかった。
だから、榊はその思いを心の奥に閉じ込めた。それが美しいものだとか、尊いものだということを考える前に、全部押し込めたのだ。
そうして夏を終えてみて、榊は打ちのめされて知ることになる。

ああ…何て事はない……私はただ、こんなにも神楽が好きだったのか……


 

 

982 名前:『あなたを待つ理由』【1】 :2005/08/21(日) 13:18:35 ID:1WAo1SKw

 

それは自分では驚くべきことだったし、やはり浅ましいことだとも思った。親友と、しかも女同士。異常じゃないとは思わなかった。
自分はどこかおかしいんだと、逆に認めてしまった。
認めてしまえばあとは堰を切ったように、次々と妥協するしかなかった。もともと抑えておく方が無理な感情だったのだ。いつかは抑えきれなくなるだろう。
…それからというもの、榊は日常でも酷く苦労することになった。
とにかく知られないように努めた。恋焦がれる感情は仕方ないと割り切って、バレないようにするために繕う事を第一に考えた。
それによって擦り減る精神など二の次で、ただ神楽に知られまいと、この友情を終わらせまいと、ソレだけを考えて我慢と妥協を繰り返してきた。
自分でもよく守った、と思う。しかし榊はこうも思う。気付くのが遅すぎた、と…。

神楽に対して恋焦がれている時点で、友情なんてとっくの昔に破綻している…ということに。



 

 

983 名前:『あなたを待つ理由』【1】 :2005/08/21(日) 13:19:14 ID:1WAo1SKw

 

「っ……は…ぁ……」

部屋に戻り鞄を机の上に放り出して、榊は自らの体を抱いてベッドに座り込んだ。シングルのベッドがキシッと音を立てて軋む。沈み込む体が熱かった。

「っん…また……」

切なげに自責する声を上げて、榊は制服のスカートをたくし上げた。一度抱いてしまった情念は今も燻ぶり続けている。一時的にとはいえ、この昂ぶりを収める方法を、榊は一つしか知らなかった。

「っは……か…ぐら…」

彼女の名を呼び、その顔、その声、その仕草までを閉じた瞼の裏に投影する。神楽のことならば焼付くほどに見てきた。一緒に海やプールにも行ったのだ。その肢体のしなやかさ、泳ぐ時の躍動する四肢の動きの滑らかさまで、寸分狂いなく想像できる。
動く大腿、細く引き締まった腰、意外なほど繊細な指先。それら全てを綺麗だと感じてきた。しかし今は、その隅々までが、この浅ましい愛欲の象徴となっている。
指先でそっと自らの内腿をなぞり上げる。思い浮かべるのは神楽の同じ場所、そして神楽の指。神楽にしているところを想像して…神楽にされていることを想像して…。
ゾクリと背筋が甘く痺れた。一瞬遅れて、体がブルッと震える。指はそのまま奥へと進んでいき、下着の生地に触れ。
ぁっ…と声を上げるのが早いか、自覚するのが早いか…。布地は既に汗と、欲情した自分の体液で湿り気を帯びていた。


 

 

984 名前:『あなたを待つ理由』【1】 :2005/08/21(日) 13:20:04 ID:1WAo1SKw

 

(本当に、浅ましいな…私は…)

自覚して、背徳感に陶酔する。堕落した自分さえ、今は体を煽り立てるものでしかない。

「っく…ぁ…はっ…ぁぅ…」

下着の上からゆっくりと指でなぞる。自分のことだから布地越しでもはっきりと分かる。自分のもっとも卑しい部分の形。

「くぁっ…はっ…かぐっ…ら…っぁ……か…ぐら…」

指先から伝わる感触から、その形が鮮明に想像できる。少し前までは、体を洗うときくらいしか触れたこともなかった部分。
今では、そこが自分の本体なのではと思えてしまうほどに、熱く熱を持ち自己主張してくる場所に変わってしまった。
名前を呼びながら自慰に浸る。最近は毎日だな、とぼんやり頭の片隅で思い浮かべながら、愛しい人との情事を夢想する。

(この指が…神楽のものだったら…私は死んでいるかもしれない…)

きっと大げさじゃなく、あまりの衝撃に息など何百回と止まるだろう。想像の中の神楽は、いやらしい榊に寛容だった。それどころか、自分が乱れれば乱れるほど、それを喜んだ。

『榊…可愛いな…』

「っぅ…!」

ゾクンと背筋がまた痺れた。軽く果てそうになったようで、腰がジンジンと痺れを訴えていた。気がつけば指がクチュクチュと音を立てて動いている。どうやら本格的に濡れてきてしまったようだ。

 

 

985 名前:『あなたを待つ理由』【1】 :2005/08/21(日) 13:21:41 ID:1WAo1SKw

 

「……っ……」

ふらつく足腰でゆっくり立ち上がり、榊は下着を脱ぎ捨てる。と同時に、蒸れたような媚臭がいっぱいに広がった。下着を脱ぐために足を動かした所為か、内腿を伝う刺激を感じる。
ああ…また、こんなにも濡れてしまった…。下着もかなり汚れただろう。親には内緒で洗濯しなければと、そんなことが一瞬で頭をよぎる。

『なぁ、早く来いよ…』

ハッと、頭の中が現実(ゆめ)に引き戻される。振り返れば、そこには…一糸纏わぬ神楽がベッドに寝そべりこちらを見ている。
退屈そうに足をぶらぶらとさせ、透かした笑いを浮かべ、豊満な胸をこれ見よがしに強調する姿勢で、榊を誘っている。頭がくらくらした。

『榊、早く……私、あんたが…欲しいよ…』

熱っぽく訴えてくる想像の神楽は、瞳を潤ませ上気した顔で榊の顔をじっと見ている。在り得ない、在る筈のない光景。でも、今は…

「ああ……今…いく…」

小さく呟き、ふらふらと、ベッドに戻る。
今だけは…こちらが夢(げんじつ)……

神楽が両手を広げて、榊を迎える。当たり前のように、愛し合おうと囁く。自分だけの神楽。都合の良い恋人。

「私も…神楽が欲しいよ……」

呟いた声が、泣きそうな声だったのは…何故だろう……


 

 

986 名前:『あなたを待つ理由』【1】 :2005/08/21(日) 13:22:13 ID:1WAo1SKw


「えっと…それって…どういう…?」

困ったように神楽が頬を掻いて尋ねる。腰掛けていた机からはもう降りていて、立って榊を見下ろしていた。
ゆっくりと榊も立ち上がる。ギィ…と、静かな校舎に響き渡るように、椅子の引く音が発つ。両者が立てば自然と視線の位置は逆転し、今度は榊が神楽を見下ろしていた。
それに言い知れぬ何かを感じたのか、神楽の瞳が怯えを覗かせる。そんな神楽の瞳に、少しだけ、胸が音を発てて軋んだ。

「……神楽と話がしたかった…」

普段よりも幾分もトーンが低い声色で、榊は告げる。神楽は首を傾げるばかりだったが、それでも小さく頷き、「そっか」と返してくれた。少しだけ安堵する。だから、その次の言葉も継げた。

「……神楽と、二人になりたかった…」

今度こそ目を丸く見開いた神楽を目の前にして、言ってしまったことへの後悔だけはしなかったことに、榊は少しだけ自分を褒めたかった。


<続>

9 名前:『あなたを待つ理由』【神楽】[sage] :2005/08/22(月) 01:46:46 ID:WBe32XuI

 

「えっと…それって…どういう…?」

困ったように神楽が頬を掻いて尋ねる。腰掛けていた机からはもう降りていて、立って榊を見下ろしていた。





―――あなたを待つ理由―――




酒も入ってないのによく酔えるな…。そんな悪態を心の中で神楽はついていた。部屋の中央に円筒状のストーブを置き、囲みにした机に思い思いの飲み物やお菓子、そして駅前のセールで調達してきたケーキが並ぶ。
面子は全部で8人。ゆかり先生や黒沢先生も含めた、いわゆる「いつもの」面々である。正直まだ11歳になったばかりのちよまで巻き込んでのこのパーティーに、流石の神楽も苦笑いを浮かべていた。
手の熱でぬるくなり始めたサイダーのボトルを机の上に置く。室内のお菓子類は持ち寄りだが、各自自由に食して良しということになっているので、暴食の使途たるともに食い尽くされるまえに手近にあったポテトチップスの袋を確保した。
視線の先では既にベロンベロンに出来上がったともが大阪にヘッドロックをかけている。もう一度言うが、ノン・アルコールだ。つまり雰囲気で酔っていることになる。

(いや、ゆかり先生も笑ってないで止めた方が…)

すぐ傍でとものプロレス技メドレーを囃し立てている現役英語教師を見つつ苦笑する。頼みの綱の黒沢先生はもう匙を投げたのか、ちよと暦と三人で談笑にふけっていた。案外頼りにならない頼みの綱だった。
ふと、神楽は室内に視線をめぐらせ、そしてあることに気がつき一番近くにいる暦に声をかけた。


 

 

10 名前:『あなたを待つ理由』【神楽】[sage] :2005/08/22(月) 01:47:45 ID:WBe32XuI

 

「なぁよみ」

「ん?なんだ神楽」

どんな話をしていたのか、普段は滅多に見せない上機嫌の笑顔を浮かべたまま振り返る暦に自然と苦笑を返し、質問に移る。

「榊は?」

「ん?おお…?そういえば見当たらないな」

榊、メンバーの中でも一際背が高く、一際大人しい同級生の少女(少女と言うかは怪しいところだが)。
暦が話を中断してちよや黒沢先生にも同じ事を尋ねるが、二人とも反応は暦と同じ。今気付いたといわんばかりにきょろきょろと視線をさまよわせていた。

(忍者かあいつは…)

無口な榊にはぴったりかと思えるスキルだが、生憎とその身長のせいで榊の存在感はけして希薄ではない。にもかかわらず、誰にも気付かれずにいなくなることが、榊にはよくあった。
暦が難しい顔で頭を掻いて、苦笑を向けてくる。

「参ったな…また無理をさせたかな」

「ははは、そんなことないって」


 

 

11 名前:『あなたを待つ理由』【神楽】[sage] :2005/08/22(月) 01:50:15 ID:WBe32XuI

 

神楽は努めて明るくそう言い返した。暦も神楽も気がついていることだが、榊は騒がしい場所が苦手なのだ。もちろんこういう場が嫌いなわけではないだろう。
本当に楽しそうにしているところも、一目では分かりにくいが神楽は何度も見ているし、付き合いも悪い女ではない。
しかし、これは確信に近いおそらく、だが…榊は賑やかな場所ではきっと、疲れやすいのだろう。
だから、疲れきってしまう前に体と精神を休めようと、時折ふらっといなくなる。誰にも感づかせないように行くのは、皆には気を使わせたくない、心配させたくないという榊の優しさと気遣いだろう。
実際大抵の場合は、暦か神楽が気付く程度で、ともや大阪などは榊がいなくなったことすら気付かずにいる。
そしてまた誰にも気付かれずに戻ってくるのだ。
神楽は榊のそんなところを美徳だと思っていたが、また同時に心配の種でもあった。榊が友達や雰囲気を気遣って黙って出て行くのならば、それは知らぬふりをしているのが筋というものだ。
気付かれないまま帰ってくれば事実上問題などないのだから。
しかしそれでも、神楽は榊が無理をしてまで皆との関係を取り繕おうと必死なのではないかと、そんな心配をしてしまうのだ。
神楽にしてみればそんな考えはバカヤローの一言だ。そんなもので壊れてしまうほど自分たちのつながりは緩くも弱くもないと、神楽自身自負している。神楽個人をとっても、榊が苦手な場所にいて疲れたと口にすれば、笑って許して休ませてやるくらい当たり前だと思っている。
そんなことは友達ならば当たり前なのだ。
これがまだ、下手な行動ならばその場で呼び止め、叱咤の一つでも飛ばして言い聞かせてやれるのだが…榊はとんでもなく巧く抜け出すのだ。おそらく最新の注意を払っていくのだろう
足音すら耳に残らない。あの長身が動くというのに、まるで手品か本当に忍者かとも思わせるくらい、それほど榊は皆への気遣いに熱心だということだ。
だから結局神楽は何も言えない。そこまでされたら、下手な叱責ではかえって榊を傷つけるのではないかと、神楽はそんな危惧を抱いて何も言えずにいたのだった。無理をさせているかもしれないのに…何も言えないのが歯がゆく、そして辛いにも拘らず。

 

 

12 名前:『あなたを待つ理由』【神楽】[sage] :2005/08/22(月) 01:50:58 ID:WBe32XuI

 

「榊も、辛いならばそう言えば良いのにな」

暦のトーンの落ちた呟きを聞き、神楽は再び明るく振舞った。

「だからそんなんじゃないって。ちょっと火照った顔を冷やしに行ったんだよ、あいつは」

神楽の屈託ない笑みに。暦は「そうか」と苦笑を漏らす。それを見届けて、神楽はおもむろに立ち上がった。

「けど遅いから、一応見てくるな」

「ん…そうか?すまんな」

片手を上げて軽く謝罪してくる暦にニッと笑い返して「おうっ」と返事をする。
教室から出て行き際に、「ポテチ食うなよ」と暴食の使途に釘を刺して、神楽は視聴覚室を後にした。
暗い廊下を進みながら、さてどこを探すかと思案する。しかし、神楽には最初からアテがあった。

(ま、あそこだろうな…)

何の脈絡もなくある場所を思い浮かべると、何の根拠もなく、自然と足の向いた方へと進み、神楽は階段を上がっていた。


 

 

13 名前:『あなたを待つ理由』【神楽】[sage] :2005/08/22(月) 01:51:49 ID:WBe32XuI

 

引き戸を開くとガラガラと静かな音が発つ。先日の大掃除の際に用務員が修繕を行ったため、引き戸はスムーズに動いた。目に飛び込んできたのはどこにでもあるような教室の風景。暗闇に僅かな明かりが、机や椅子、教壇の輪郭を浮かび上がらせている。
無人の教室だった。窓際の後ろから3番目の席に、彼女がいなければ。

「………榊?」

その場から動かず声をかけた。暗闇の教室に浮かぶ人影が、ゆっくりとこちらを向く。段々暗いのに慣れてきた目には、その人影の顔が何とか見えた。榊だ。まぁ、椅子に座ってもあの背丈の女子なんて学校中でも榊しかいないのだから、教室に入った瞬間核心は持っていたが。

「…神楽……」

どこか震えているような、そんな声のような気がした。ともかく、教室で一人座っていた人物が榊であると証明されたのだ。神楽はゆっくりと歩み出した。

「やっぱりここだと思ったよ」

自分に最初から確証があったことを告げて距離を縮める。榊は不思議そうなものを見るような、何かを尋ねたそうな、そんな目で神楽を見ていた。それだけで、神楽には榊の言いたいことがなんとなく分かる。

「……どうして……」

どうして、ここが分かったの?ではないだろう…きっと。ならば、どうして私がそう思ったのか…榊は真面目な奴だ。不用意に知らない場所には行かない。だから他の教室になんて自発的に入る奴じゃない。普段入れない場所なら尚更だった。
それを知っているなら、榊が行きそうな場所は概ね絞られてくる。この寒さで外ということもないだろう。今気付いたが雪まで降っているようだ。教室の窓から外が見え、夜空から降ってくる灰色めいた雪が見える。


 

 

14 名前:『あなたを待つ理由』【神楽】[sage] :2005/08/22(月) 01:53:15 ID:WBe32XuI

 

「だってさ、賑やかなの、嫌いじゃないけど苦手だろ?あんたは」

間近まで歩み寄ってそう伝える。この場所を推理できた経緯を説明しないのは意味がないと思ったため。この言葉を選んだのは、ちゃんと分かってるから…そう伝えたかったためだった。
返事を待たずに、神楽は榊の座っている席の机に尻を乗せて腰掛けた。背中を向ける形で、榊との距離が近くなる。
言いたいことは山ほどあるのに、上手く纏まらないのは神楽の悪癖だ。だからいらないことまでいろいろと付け足して、何がなんだか分からなくなって結局伝わらないことがよくある。そういう意味では、口下手な榊とは対極にありながらも同種の悩みだ。
だから神楽は榊には伝えたいことがちゃんと伝わるように、本当に気をつけて話すのだ。

「……うん…」

そう短く返してくる。口下手な榊らしい返答だが、一番シンプルに意思が伝わったことを示してくれる合図だ。神楽は胸中でホッとする。首で後ろを向いて榊の顔を見ようと思ったら、榊もこちらを向いてきたので目が合った。
位置関係もあり、自然、いつも見上げる立場の榊を見下ろしてしまう。榊の瞳はいつも冷静な光をもっている。今も、なんだか体の中まで見透かされて、レントゲンでも取られているかと錯覚するような気分に陥る。
誤魔化しも含めた意味で、神楽はいつもそうするように、榊に笑いかけた。

「大丈夫か?」

言った後で、何についてかを考えていなかったことに胸中で苦笑する。それでも、榊は何かを感じ取ったのか、小さく頷いてくれた。

「そっか」

そっけなくも感じるが、それでも神楽と榊の間にはこういう会話しかない。一言二言、同じようなやり取りを二人は繰り返した。
神楽が寒いと訴えると、榊は窓に視線を向け、「雪だから」と降り積もる外の雪を見入った。神楽も釣られる様に、無言でその雪を見つめ続けた。きっと雪の降る音が聞こえたなら、しんしんしんしんと、耳に届いただろう。それくらい、今夜の雪は止む気配がなかった。
いい加減頃合だろうと、神楽は思い机から腰を上げた。トンッと床に両足をつけて振り返る。


 

 

15 名前:『あなたを待つ理由』【神楽】[sage] :2005/08/22(月) 01:54:06 ID:WBe32XuI

 

「なぁ…戻らないか?」

榊は振り返らない。どうしたのかと思いつつも、もう一言、言葉を紡ぐ。

「ここ寒いしさ…皆待ってるぞ?」

暦には探しに行く、と言って出てきたのだ。あまり神楽の帰りも遅いと、流石のあのメンバーでも心配しだすかもしれない。
そんなことをぼんやり考えていたその時、榊が口を開いた。そしてその言葉で…

「私はここで…神楽を待ってた……」

「へ?」

神楽は間の抜けた声を出していたのだった。
唐突に言われた言葉は意外すぎて、神楽の思考力をどんどん奪う。考えれば考えるほど、頭の中が馬鹿になっていくような感覚だった。

榊は、私を、待っていた…

でも…

榊が、何を言っているのか、分からない…


 

 

16 名前:『あなたを待つ理由』【神楽】[sage] :2005/08/22(月) 01:55:24 ID:WBe32XuI

 

「えっと…それって…どういう?」

辛うじて声は出た。無難な言葉で、まずは真意を問う。神楽は本当に混乱したという表情で榊の返事を待っていた。と、榊が椅子を引き立ち上がる。
座っていたからこそ神楽と榊の目線は同じ程度なのであって、榊が立ち上がれば二人の目線は20cm近く開く。榊が神楽を見下ろすその視線に、神楽は何故か身が竦んだ。
その上背を改めて認識し、威圧感を感じたのか…それとも、その真剣そのものの揺れ動かない瞳に怯えたのか…神楽自身、自覚すらままならなかった。

「……神楽と話がしたかった…」

静かな静かな口調で、榊がぽつりと言う。話ならばいつもしているし、これからでもずっとしていくつもりだ。それなのに、ここで神楽を待っていた、その意味が分からない。しかしそれでも、それは悪いことじゃない。
半ば無理やりにそう自己完結して頷く神楽。そこに…

「……神楽と、二人になりたかった…」

その言葉で、今度こそ神楽は持ち合わせの少なかった冷静さを完全に使い切って失った。


<神楽・了

      
     続>
 

 

19 名前:『あなたを待つ理由』【2】[sage] :2005/08/22(月) 19:07:29 ID:r3UjuWNF

 

「……神楽と、二人になりたかった…」

今度こそ目を丸く見開いた神楽を目の前にして、言ってしまったことへの後悔だけはしなかったことに、榊は少しだけ自分を褒めたかった。






―――あなたを待つ理由―――





「えっ……あの…榊…」

混乱しているな…。榊は胸中でそう呟き、それは当たり前だとも思っていた。唐突にこんなことを言われて、混乱しない者などいないだろうし、それが夜の教室、しかも女同士の友達で親友にだ。
神楽の混乱は、榊にとっては予想していたことでもあった。口をパクパクとさせて言葉が継げなくなっている神楽は、なんだか陸に上がった魚か何かを連想させる。その慌てぶりが、かえって榊の心を落ち着けていた。
後悔はしていない。初めからそのつもりで待っていたのだし、ここに神楽が来てくれたのは奇跡としか言い様がない。呼びつけたわけでもないし、約束があったわけでもない。
ただ、ここにいれば会えるような…いや、探しに来てくれるような、そんな直感めいた思いからここで待つことにしたのだから。
会えなくても仕方がない場所で、会えば告げようと、殆ど逃げにも似た絶望的な確率の賭けをして…果たしてこれは限りなく分の悪い賭けに勝ったのか、それとも安全牌を敷いて臨んだ賭けに負けたのか…榊には分からなかった。
ともかく、神楽は来た…。ならば、伝えよう。真面目な性格の榊は、この誓いを裏切ることは出来ない。

 

 

20 名前:『あなたを待つ理由』【2】[sage] :2005/08/22(月) 19:08:23 ID:r3UjuWNF

 

「伝えたいことがあるんだ……」

その言葉を伝えるだけで、残った勇気と精神力の殆どを搾り尽くさねばならなかった。
伝えたいことがあると伝えるだけで、今の榊は精一杯の状態だ。しかしそれでは何も伝わらないのは当然だ。

「な、何……?」

珍しい弱気の口調の神楽が目の前で、これまた珍しく困惑している。そこに、いつもの快活で男勝りな神楽の姿はない。
暗がりが、あるいは雰囲気がそうさせるのだろうかと、榊は神楽を見つめながらぼんやりとそう考えた。
神楽の口調は焦っているようにも聞こえる。それが榊を急かしているのも、そして押し止めているのも、どちらも事実だろう。互いに、怖い。

言うのが怖い
聞くのが怖い
何を言われる
何と言われる
何を言えばいい
何と答えればいい

この気持ちの応酬が、暗闇と入り混じってある種異界めいた空気すら、二人の間に漂わせている。
生きた心地がしないというのはこういうことなのかもしれないと、榊は胸中で小さく思った。
あまりに榊が黙っているものだから、神楽の方は不審感と不安感が募ってきたのだろう。痺れを切らしたように表情を歪める。


 

 

21 名前:『あなたを待つ理由』【2】[sage] :2005/08/22(月) 19:09:15 ID:r3UjuWNF

 

「なぁっ、何なんだよっ!」

語気が強められて、榊は無意識に目を閉じてビクッと肩を竦ませてしまった。
それは叱られて怯える子供のような竦み方で、それが一層、神楽の胸中に不安の波紋を立てた。

「っ…早く……言えよ…」

「……ああ……ごめん……」

流石に罪悪感を感じたのだろうか、神楽の口調は幾分か穏やかだった。しかし不審めいた色は無くなってはいない。
榊は不自然に早まった鼓動を落ち着けようと何度も呼吸し、そして目を閉じた。
頭の中で言葉を反芻する。胸の中で何度も唱える。口の中で何度も飲み込みかけ、ようやく、榊は口を開いた。

「……私は……神楽が好きだ……」

声は震えていたと思う。喉が未だに震えているのがその証拠だろう。小さく、しかし止まらない震えを飲み下して、ゆっくりと榊は目を開く。
言葉を放ったとき、殆ど身投げするような気持ちだった。小説や漫画の告白シーンでよく見る描写は嘘じゃない。
目を開くと、ぽかんとした神楽の顔が変わらない場所にあった。その表情からは何も読み取ることが出来ない榊は、胸中で焦る。


 

 

22 名前:『あなたを待つ理由』【2】[sage] :2005/08/22(月) 19:10:10 ID:r3UjuWNF

 

神楽はどう思ったのか…

呆れた?

喜んではいなさそうだ

でも嫌がっているようにも見えない

何も感じなかった?

ぐるぐると、榊の頭の中が回転する。行き場の無い討論が激しく繰り返され、それに神楽のぽかんと口を開けたまま固まっている姿が拍車をかける。
神楽は何故かそのまま動かない。ネジが切れてしまった人形のようだ。

「か、神楽……?」

恐る恐る、恐々と呼びかける榊に、ようやく神楽は反応して、ピクッと肩を揺らして榊の顔を正面から見た。そして今までの空白を代弁するかのようにすばやく口を開く。

「へ?あ、ああ…うん…唐突に…何言うかと思ってたから…」

口調がどこか言い訳めいているのが、少しだけ…榊の心を理由も無く引っ掻いた。

「ごめん……」

「い、いや…いいけど……でも、突然何を言うのかと思ったけど…今更言うことか?それ」

え?っと榊は目を見開く。今更言うことか?と、神楽は何気も無しに言った。それはつまり、どういうことなのか。気持ちが上手く纏まらない。
安心したような気もする。でも、そんなことはないような気もする。落ち着かない心が、真意を確かめろと騒ぎ立てる。煩い、と…榊は自分自身に舌打ちした。

「それは……」

どういうこと?そう尋ねる前に、不安の理由を神楽自身が突きつけてきた。

「私ら親友だろ?私だってさぁ、榊の事好きだぜ?」


 

 

23 名前:『あなたを待つ理由』【2】[sage] :2005/08/22(月) 19:11:15 ID:r3UjuWNF

 

あっけらかんと、今までの混乱を帳消しにするような明確な口調で言ってくる。榊にはそれが、死刑囚に言い渡される死刑宣告のように聞こえた。

伝わらなかった

ただ、それだけ……

榊の言葉を神楽は別の意味で捉えたのだ。神楽の好きは、友情の意味。神楽は榊が友情を確かめようとしたと誤解している。つまり…

未だに、神楽は榊との友情を信じているということ…。

目の前が真っ赤になったような気がした。息が詰まった。口も鼻も酸素を取り込んでくれないような気がした。肺がその機能を全部放棄していなくなってしまったような気がした。
だから頭に酸素が足りない。だから頭が上手く働かない。上手く働けば止まれるはずだ。止まってくれればここで終れる。「そうか」と答えればまたあの日々を繰り返す。
神楽の親友というポジションを確保したまま、友達との賑やかな日々を送り続けることが出来る。
あの、我慢して、妥協して、擦り減らして、押し潰してきた灰色の日々が繰り返される…。

「ち……」

やめろ、止まれ

「……が…ぅ…」

言うな

神楽は榊の様子に再び首を傾げている。まだ聞こえていない。今ならまだ間に合う。絶対に言ってはいけない。言えば、もう本当にオシマイ。


 

 

24 名前:『あなたを待つ理由』【2】[sage] :2005/08/22(月) 19:11:48 ID:r3UjuWNF

 

「…榊…?」

神楽の瞳が、榊の瞳を覗きこんだ。その、自分を疑うことを知らない透き通った瞳に…

「…違う……そういう意味じゃない…」

塞き止めていた榊の中の壁は、あっけなく砕けて流れ去った。神楽が目を軽く見開いて、きょとんとこちらを見ている。
何も疑わない、今でも自分と榊との間にある無二の友情を信じている。
だから榊は止まれなかった。嫌と言うほど思い知らされた。

もう自分の中に、神楽への友情なんて、これっぽっちもなくて…あるのは果てしない愛しさと、上限知らずの欲情だけだと…

「さか…っ…!?」

でもそれは仕方が無いこと。神楽への思いを認めたあの日から、自分の中で神楽への友情はとうの昔に破綻していたのだから。
手を伸ばし、捕まえる。

「ちょっ…さかきっ…んっぅ…っ…」

抱き寄せた体は思っていた以上に華奢で柔らかく、貴く感じられ。

何かを言おうと開かれた神楽の口は、榊の唇で塞がれていた。


<続>
 

 

28 名前:『あなたを待つ理由』【3】[sage] :2005/08/24(水) 04:51:55 ID:WpGP18Jp

 

「ちょっ…さかきっ…んっぅ…っ…」

抱き寄せた体は思っていた以上に華奢で柔らかく、貴く感じられ。

何かを言おうと開かれた神楽の口は、榊の唇で塞がれていた。






―――あなたを待つ理由―――




腕の中で神楽がもがく。離さない、離せない。腕が神楽の腕と溶接されてしまったかのように熱い。腕だけではなく、神楽と触れている場所全部が、ありえないくらいの熱を持っている。
神楽はずっと榊から離れようと、腕の中で体をもがかせ暴れている。しかし、腕力では同じくらいか、榊以上に力のあるはずの神楽がその腕を振り解けないのは、榊が信じられないほど強く抱きしめているのと、そして神楽自身、本気で振りほどけていないからだった。
殆ど不意打ちのキスだったため拒む間もなく、榊の舌が神楽の口の中に滑り込む。神楽はそれに一層怯えたように跳ねて、榊の体を押す。しかしそんな僅かの抵抗は、逆に榊の劣情を掻き立てるものでしかない。欲情を隠せなくなった榊は、唇でさえも貪欲に求めた。
それが、取り返しのつかない一方的な強姦めいた行為だということも、もう頭の片隅にも残せてはいなかった。

 

 

29 名前:『あなたを待つ理由』【3】[sage] :2005/08/24(水) 04:53:35 ID:WpGP18Jp

 

「っ…!」

舌に鈍い痛みを感じて、ようやく榊は神楽の唇を開放した。遅れて口の中に鉄錆びた血の味が広がる。神楽が榊の舌を思わず噛んだのだ。意図したものではないが、僅かな鈍痛は榊を少しだけ正気に引き戻す。
荒くなった呼吸を整えもせず、神楽の顔を榊は見つめる。それでふと腕の力が緩んだのか、今度は神楽に押されて、榊は体も神楽から離れた。

「っ…ぁ……ハァ…ハァ…」

まだ大分混乱しているのだろう、神楽が真っ赤になったまま肩で息をして俯いている。それを、心のどこかが酷く冷静になってきた榊は、何とも言えない眼差しで見下ろしていた。
少しの間を置き、神楽がキッと榊を睨み上げる。その怒った咎める様な瞳に、また…キシッと心が軋む。

「ぁ………」

いざ我に返れば、やってしまったのだなと…本当に酷く冷静に状況を把握している自分がいることに、榊は戸惑っていた。
勢いに任せた口付けで、神楽を襲った。掛け値なしの愛ではなく、愛しさを加えた欲情で、神楽の唇を奪った。だから軋むのだろうか…後悔しているのかすら、よく分からなかった。

「っ……何の…つもりだよ…」

まだ荒く肩を上下させる神楽が、睨み上げながら榊を問い詰める。怒りは当然だと、榊は思っていた。しかし同時にその上下する小さな肩が可愛いと、頭のどこかで考えている自分が…呪わしいを通り越して、大した奴だと、半ば自分に呆れていた。

「……こういう意味だ…」

「…何……」

神楽の顔が怯えに歪む。認めたくない事実を突きつけられることに、小さく震えているようだった。

「こういう好きなんだ……神楽…」

訴える様な、媚びる様な声が出る。こんな時でさえ打算的に声色さえ変えている自分が本当に浅ましく感じる。それは無論、榊の自虐めいた思考なのだが、今の榊には本当のことなどどうでも良かった。
神楽は榊の告白を聞いて、息を呑んでいる。ようやく伝わったのだと、榊は感じと入れたが、もはや喜ぶことは出来なかった。もう奪ってしまった後だ。望みなんて無い。
榊の目の前は既に真っ暗で、目では神楽の顔を捉えていても、頭の中はノイズの走るテレビのように、何も映してはいない。
この先にあるのは、拒絶と終わりしかないのだと、もう自分で決定させてしまったからだ。それでも口は止まらなかった。


 

 

30 名前:『あなたを待つ理由』【3】[sage] :2005/08/24(水) 04:54:39 ID:WpGP18Jp

 

「…好きなんだ……神楽が……私は、神楽が欲しいんだ……」

普段よりもいくらか饒舌な自分に、いつもこれくらい喋れればなと、皮肉げな苦笑が胸中に浮かぶ。榊の言葉に神楽は一層狼狽を見せている。おそらくは、純粋に照れている部分もあるのだろう。それだけが、榊の心をほんの僅かだけ救っていた。うろたえながら、神楽が口を開く。

「……ば、馬鹿…かよ……」

「……そうかも……でも、本気だ…」

「女同士だぞ!」

声を荒らげる神楽。最後の望みとばかりに、在り来たりのモラルを榊に叩きつける。それが、分かってはいても…榊には悲しかった。

「……でも……好きなんだ…」

搾り出すような弱々しい声。けれども、ようやく神楽には榊が本当にそう思っているのだと理解できたようだった。見上げる瞳が初めて、榊の瞳を捉えた様な気がする。しかしすぐに戸惑ったような、恥らっているような仕草で顔を逸らす。
榊は小さく首をかしげて、未だ神楽を見下ろすことしか出来なかった。キシキシキシキシ…胸の軋みが大きくなる。

「そんな……こと……言われたって…」

神楽は言い淀むだけだ。明確な否定も、肯定もしてこない。もう先なんか無いことはとっくに分かっている榊にとっては、その時間は神経を擦る減らすだけの苦痛の時間だった。頭では理解している。
もう後は、拒絶され、壊れた友情を確認するだけ。だったらこの場で突き放された方が、まだ楽なのかもしれない。
でも今はまだ、友情と侮蔑の間で漂っているようなものだ。生殺しのような時間に、榊は疲れ果てていく。それでも…

「……ごめん…」

まだ、神楽への友情を偽れる自分に、愛想も尽きかけていた。


 

 

31 名前:『あなたを待つ理由』【3】[sage] :2005/08/24(水) 04:56:27 ID:WpGP18Jp

 

榊にはもう神楽への友情など無い。

榊にあるのは神楽への掛け値無しの愛情と欲情。

それなのに…何故今更出来の良い友人を装うのか。

榊は謝りたくなど無かった。本当は今にも神楽を押し倒し、愛していると囁いて、その体を重ねたかった。それでもそうはしない自分に、榊は疲れと苛立ち、そして絶望を憶える。本当はまだ、心のどこかでやり直しを望んでいるのかと、疑ってしまう。
まだ友人でいられると思っているのかと呆れてしまう。自分でここまでぶち壊しにしておいて、都合が良すぎる考えに、涙が出そうなくらい笑えそうだった。

(滑稽だな……)

まさにそうだと、榊は自分自身を嘲笑った。何がごめんなのか、そんなことも分からないのに、ただ口先だけで「ごめん」と言える自分が恨めしい。目の前で神楽が困惑し、困り果てているというのに、そしてその原因は自分だというのに、まだ取り繕おうというのか。

「…神楽…私は…」

もうよそう。気にするなと告げて、帰ろう。そう思って口を開いた。その時…

「榊…冷静になって考えろよ…」

「…え…?」

神妙な口ぶりと、何か必死な瞳を向けてくる神楽に、榊は停止する。

「…きっと、榊は、勘違いしてるんだって…あんた、そっち方面には鈍いから…」

ギシリッ…と、心に何か、致命的な亀裂が入ったような気がする。榊は呆然としながら、ただ黙っていた。そんな様子に神楽は気付かず、言葉を進める。

「榊は…きっと、友情と愛情をごちゃ混ぜにしちまってるだけだ」

それは、神楽なりの未知への防衛策なのだろう。女性である自分が、女性に愛される。そんな想像もしていなかった事態に対する、守る行為だ。神楽は、榊を言い正すことで、それを成そうとしている。
榊は震えていた。恐怖に、憤りに、そして訪れるであろう絶望感に。


 

 

32 名前:『あなたを待つ理由』【3】[sage] :2005/08/24(水) 04:57:19 ID:WpGP18Jp

 

「だからさ、よく考えてみてくれ」

やめてくれ神楽…

「その気持ちが…」

それ以上は、頼むから…

「お前の本当の気持ちかどうか」

限界だった心に、神楽の言葉は容赦なく刃を立ててくれた。ガラガラと陳腐な音を発てて何かが崩れたような気分だ。
そして後から湧き上ってくる、絶望感と憤り。悲しみ…。
一番否定されたくない人に、言われたのだ。

お前の気持ちは偽りだと

だからよく考えろと

では、今まで自分が悩み、苦しんできた日々は何だったのか?我慢と妥協で磨り潰されてきた自分の心はいったいなんだったのか。

「な、榊…だから…」

「違う……」

その、地獄の底から這い上がるような暗い声に、神楽は先ほどの榊の焼き直しのように、ぴたりと動きを止める。明らかに様子の変わった榊に、戸惑いを覚えたのだろうか。

「さか……き…?」

取り繕おうとする声。しかし、榊はもう止まれなかった。

「違う……違う…違う、違う!」

気がつけば声が荒らいで、怒鳴っていた。憤りに任せた、怒りの瞳が神楽を睨みつけ、その瞳と怒声に神楽の体が怯えにビクッと跳ねる。


 

 

33 名前:『あなたを待つ理由』【3】[sage] :2005/08/24(水) 04:58:22 ID:WpGP18Jp

 

「嘘じゃない…間違いなんかじゃない……私の…何も知らないくせに……私の心を決めるな!」

「さ、榊……私は…」

狼狽した神楽の声は、怒りと悲しみで真っ赤になった榊の頭には伝わらない。ただ、怒りのままに声を上げていた。

「私がどれほど、神楽を思ってきたのか…どれほど、自分を抑えてきたのか……知らないのに…嘘だというのか、神楽は!」

力任せに言葉を叩きつけて、肩で息をする。神楽はぽかんと、驚いたように口を半開きにして榊をただ見つめていた。
息が少し落ち着いてくると、榊はこの場にいるのが酷く辛くなった。だから、駆け出す。
目の前の神楽を押しのけ、廊下へ向かい足早に踏み出し、廊下へと飛び出した。

「榊!!」

後ろから神楽の呼ぶ声が聞こえる。しかし、榊は止まらなかった。
目には、涙が溜まっている。それを零さない様に榊は廊下を走り出していた。
涙は、止め処なく零れていた。


<続>
 

 

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