678 名前:名無しさん@ピンキー[sage]:2007/03/16(金) 00:01:10 ID:3U2+z9EJ

こんなとき、ちよちゃんならどうしたのだろう? よくそんなことを考えている。
 たとえばこの卒業式。五年前のこの日、ちよちゃんは高校を卒業した。ちよちゃんに
とっては初めての卒業式、やっぱりちよちゃんのことだから泣いていたんだろうか。
 退屈な式は考え事にはちょうどいい。私がいろいろと夢想している間にも式は
進行してゆき、『仰げば尊し』の斉唱になった。
「あーおーげばーとおーとしー わがーしのーおんー」
 我が師。私の担任の先生はゆかり先生。谷崎ゆかり先生。変わり種の先生だと
思う。平気で遅刻してくるし、同僚の先生にたかったりする。生徒をからかって
遊んだりもするし、学校の行事を賭けに使ったりもする。子供みたいな人だけど、
今年でもうさんじゅ……いや、やめておこう。
 でもゆかり先生には恩があって、すごく尊いものだとも思う。意外にも授業は
わかりやすいし、意外にも生徒のことをちゃんと見ているし、意外にも生徒の話を
聞いてくれる。そして何より、私のお願いを聞き続けてくれた。
 そのゆかり先生の方を見た。予想どおり、さっぱりしたものだった。というか、
退屈そうだった。
「いざーさらーばー」
 さらば。もうこれで終わりなんだ。そう思うと急に胸がきゅんとなってきた。
いつか終わって、別れの時がくる。当たり前のことなんだけど……。
「卒業生、退場」
 式が終わって、窮屈な席を立った。クラシックのゆったりした音楽に送られて
体育館を出ると、みんなのざわめき声が私を迎えた。
「やっと終わったね、みるちー」
 私のことをこんな子供っぽいあだ名で呼ぶ人は少ない。そのあだ名で私に真っ先に
声をかけてくれたのは、小学校以来の親友、ゆかちゃんだ。
 ゆかちゃんの一言が私に事実を突きつけてきた。今日は卒業式であり、間違いなく
私の高校生活は今日で終わるのだと。

 

679 名前:名無しさん@ピンキー[sage]:2007/03/16(金) 00:02:31 ID:3U2+z9EJ

教室でゆかちゃんや友達とおしゃべりしてたけど、すぐにゆかり先生がやってきた。
「えー、みんなおめでとう」
 なんて適当な挨拶なんだろう。生徒一同、この先生の性格をわかっていても心中で
つっこんでいるに違いない。
「卒業証書じゅよー」
 生徒一人一人に手渡してゆく。それはいいんだけど、爽やかに、というならともかく、
つまらなさそうにやっている。もう少し情緒ってものを考えてくれないかな。
「みるちー」
 私の番が来た。先生が私のことをあだ名で呼んでくれるのはなんとなく嬉しいけど、
こんな場面でくらいちゃんと呼んでほしい。でもそれが先生のいいところ……かな?
「それでは終了! みんな元気にやれよー」
 ゆかり先生が泣き崩れるんじゃないかと少しだけ期待してたけど、無駄に終わった。
 この場は解散になったけど、真っ先に帰る人なんているわけない。みんな思い思いに
友達とおしゃべりしたり写真をとったりしてる。入試の結果が気になる人もいるみたい。
私は、ゆかちゃんと一緒にゆかり先生のところに行った。
「おー、あんたらか」
「あの……ありがとうございます」
 何から言っていいかわからず、こんな言葉になってしまった。でも、ゆかり先生には
お礼を言いたいことが山ほどある。
「まあ、あんたらもよく頑張ったよな」
「あ、はい」
 ゆかり先生の口からこんな言葉を聞けるとは思えなかった。
 確かに私たちは頑張った。この高校は私たちにはレベルが高すぎると言われていたし、
自分でもそう思っていた。ここに来るためにはちょっとやそっとの努力じゃ足りなかった。
大変だったけど、ゆかちゃんと一緒だから頑張れたと思う。

 

680 名前:名無しさん@ピンキー[sage]:2007/03/16(金) 00:03:37 ID:3U2+z9EJ

「それで……」
「ちよすけは泣いてたね。まあ13歳のガキなんてあんなもんよ」
 ゆかり先生の言い回しに、思わず笑ってしまった。ちよすけって……。
 これだけのやりとりでゆかり先生は私がちよちゃんのことを聞いているのだと理解して
くれる。入学以来、いつも私がちよちゃんのことを聞いていたからだ。先生は時には
めんどくさそうにしながらも、ちよちゃんのことを教えてくれた。いつも意地悪な同級生に
からかわれていたこと、夏休みに別荘に行ったこと、体育祭のリレーで大勢に追い抜かれて
泣いてたこと。そのリレーの結果は、なぜか教えてくれない。
 ゆかり先生の話から窺えるちよちゃんの高校生活はすごく楽しそうだった。ゆかり先生
だけじゃなくて、にゃも先生……じゃなくて黒沢先生がゆかり先生をフォローしてくれた
みたいだし、友達も個性的な人たちが揃っていた。ちよちゃんは楽しくやっていた。
同級生のお姉さん達と出会えて幸せだった。小学生がいきなり高校に行ってうまくやって
いけるかなんて、そんな心配は無用だったんだ。ちよちゃんは私たちがいなくても
うまくやっていけるんだ。
「ちよちゃんは大丈夫だった、あんたらも大丈夫だろ」
 ゆかり先生のその一言に、なぜか私の心を見透かされているような気がした。

 

681 名前:名無しさん@ピンキー[sage]:2007/03/16(金) 00:06:08 ID:3U2+z9EJ

それぞれに友達と最後のおしゃべりや写真撮影をした後、私はゆかちゃんと屋上に出た。
グラウンドを見下ろすと、帰りはじめる人たちもいた。
 ちよちゃんはよく屋上でお弁当を食べていたらしい。この景色を、ちよちゃんも見ていたんだ。
「ごめんね、つきあわせちゃって」
 私がゆかちゃんに最初に言ったのは、それだった。
「ごめんねって何のこと?」
「一緒にここの受験をさせたこと。ゆかちゃんにつきあわせる必要なんかなかったのに」
 一緒にここに入ろうって言ったら、ゆかちゃんはすぐにOKしてくれた。ここに――
ちよちゃんと同じ高校に入りたいっていうのは単なる私のわがままだったのに。
「ちよちゃんが飛び級するって知ったとき、嬉しかった。私の友達がそんな天才で、すごく
誇らしかった。……でも嬉しいのは最初だけだった。ちよちゃんがいくら頭がよくても
いきなり高校に行って大丈夫なのかって心配で……」
 私は手すりにつかまってグラウンドを見下ろしていた。だからゆかちゃんがどんな顔をして
私を見ているのかわからないし、ゆかちゃんも私の表情はわからない。
「口ではおめでとうって言ってたけど、ちよちゃんにいなくなってほしくなかった。
ちよちゃんが飛び級して嬉しいのは本当だけど、心のどこかで思ってた。私は置いて
いかれたんだって、ちよちゃんは友達を、私たちを置いて行っちゃったんだって……」
 飛び級が嬉しかったのは本当。でも、嫌な気持ちになったのも本当。ちよちゃんの薄情者
って。ちよちゃんのことが好きなのに、ちよちゃんは喜んでたのに、そんなふうに考えちゃう
自分が嫌になる。
「たぶん、私もそうよ。多かれ少なかれみんなそういう気持ちがあったんじゃないかしら」
 短い沈黙のあと、ゆかちゃんはそう言った。
「ここに入ろうって誘ったのはみるちーの意志だけど、それに乗ったのは私の意志。
だから、謝ることなんてないの」
「うん……ありがと」
「みるちーはちよちゃんの後をおいかけたかったんでしょ」
「それももう無理だよ。さすがに留学なんてできっこない」
 もう進学先は決まっている。留学が無理だということは成績が示していた。私が追いかけて
いけるのはそこまでなんだって、思い知らされた。

 

682 名前:名無しさん@ピンキー[sage]:2007/03/16(金) 00:09:56 ID:076NocXs

「私はどうかしてた。ここに来るだけでちよちゃんに追いつけるつもりでいたんだ」
 五年前にここを卒業したちよちゃんは、いまでは大学院生になっている。
「追いつけっこないって、簡単にわかることだった。そんなことにゆかちゃんを巻き込んで
三年間を……受験勉強のときから含めれば六年かな」
「みるちーは、ちよちゃんが飛び級したときに無くなっちゃったものを、取り戻したかった
のよね。でも、過ぎた時間を戻せないように、無くしたものは取り戻せないよ」
「な、なにをそんな」
 ゆかちゃんは穏やかな口調だったけど、何かを責められているような気がして、
思わずうろたえた。
「でもね、仮に飛び級しなかったとしても、どこかの名門中学に進学していたかもしれない。
普通に高校に通っていても、やっぱり留学したかもしれない。結局、いつかは別れなくちゃ
いけないのよ」
 何の反論もできなかった。ゆかちゃんの言うとおりだ。遅かれ早かれ、いつか別れは来る。
それを受け入れられなかったから、私は今ここにいる。
「でもね、だからみるちーはここに来てよかったと思うよ」
 ゆかちゃんを振り返ってみると、私をしっかりと見据えていた。その表情からは何も
読み取れない。なにせ、自分の心さえ整理しきれていないのだから。
「どういうこと……?」
「ゆかり先生に会えたから。ちよちゃんが高校で楽しくやってたって知って、安心したの。
みるちーもそうだったんでしょ? もしゆかり先生に会えなかったら、みるちーはずっと
ちよちゃんの心配をしてたはずよ。高校生活は大丈夫だったのか、もしダメだったら
大学生活なんてうまくいきっこないって……」
「そんなことっ……!」
 そんなことないって言い切れなかった。これまでずっとちよちゃんのことを考えていた。
そんなときに私が抱く感情は、心配と不満だった。
 飛び級なんて無謀じゃないか。
 なんで私が側にいてあげられないんだろう。
「本当は認めたくなかったんでしょ。ちよちゃんが高校生になって幸せだったって」
「そんなこと、ないっ!」
 怒鳴り声をあげて、ゆかちゃんの肩を思いっきり掴んだ。言葉では否定したけど、
声と感情はゆかちゃんの言うことを肯定していた。

 

683 名前:名無しさん@ピンキー[sage]:2007/03/16(金) 00:12:22 ID:076NocXs

ゆかちゃんが痛がったのを見て、はっと我に帰る。私は何がしたかったんだろう。
「……ごめん」
 私は馬鹿だ。せっかくの卒業の日にこんなことを……。
「ゆかちゃんの言うとおりだよ。私はちよちゃんの友達でいたかった。それなのに……」
「今でも友達よ」
 ゆかちゃんはもう痛がる素振りを見せていない。それどころか、さっき乱暴に肩を掴んだ
手をとって、優しく撫ではじめた。痛かったでしょ、というように。ゆかちゃんの手は
柔らかくて気持ちよくてちょっとドキドキしたけど、今はそれどころじゃない。
「でも、もうちよちゃんとは離れ離れで……」
 ちよちゃんとは何年も会っていない。やっぱり日本とアメリカじゃ遠すぎる。ゆかちゃんの
言うとおり、ちよちゃんが天才であるからには、いつか別れが来るんだろう。それでも
新しい出会いがある、と人は言うのだろうけど、ちよちゃんの代わりなんかどこにもいない。
「ちよちゃんとはずっと一緒にはいられないって、最初からそう決まってるんだ!」
 私は泣きそうになった。結局はそれが結論なんだ。
「ちよちゃんのことだから大学でも友達を作ってる。勉強もうまくいってる。だから、
昔の友達なんて、もう……」
「でも、ゆかり先生は大丈夫だって言ってたよ」
「何が大丈夫なの」
 そのとき、携帯電話の着信音が鳴った。ゆかちゃんも一緒だ。受信したメールを見ると、
それはちよちゃんからのメッセージだった。
『高校卒業おめでとうございます。今度の休みに日本に帰ることになりました。みんなに
会えたら高校の話を聞きたいです。ゆかり先生は相変わらずですか?』
 私はゆかちゃんと顔を見合わせた。最後の一文に思わず頬がゆるんでしまう。
「ほら言ったでしょ、大丈夫だって」
 ゆかちゃんの笑顔に、私は言い知れない安心感を覚えた。

 

684 名前:名無しさん@ピンキー[sage]:2007/03/16(金) 00:13:31 ID:076NocXs

もう生徒の大半は帰ってしまっている。でも帰ったから終わりなんてことはなく、
みんなどこかで遊んでいるんだろう。
「ほらー、あんたらも早く帰りなー」
 ゆかり先生と黒沢先生だ。私たちみたいに名残惜しそうな人たちが最後の別れを言っている。
ゆかり先生の場合、親心から別れを告げているのか、さっさと帰って仕事を終わらせたいだけ
なのかどうかよくわからない。
「先生……これまでいろいろとありがとうございました」
 深く頭を下げる。ゆかちゃんも私の隣で頭を下げている。こうしながら振り返ってみると、
本当にお世話になった。ちよちゃんのこともそうだけど、ゆかり先生がいたから高校生活は
楽しかったと思う。そう思うと目頭が熱くなってきた。今日は感傷的だな、私。
「あの、先生とまた会えますか?」
「さあね。会おうと思えば会えるんじゃないの」
「……はい」
「ほんじゃまたねー」
 背中を向けた先生たちに、この場にいた生徒たちがお辞儀をした。やっぱり、先生って
慕われてるんだな。ゆかり先生は相変わらずだと返信しておこう。

 

685 名前:名無しさん@ピンキー[sage]:2007/03/16(金) 00:19:18 ID:076NocXs

学校を去る前に、一度だけ校舎を振り返る。これがちよちゃんが通った高校、そして
私たちの母校。ただそれだけのことが、すごく嬉しかった。もちろんちよちゃんのこと
ばかりじゃなくて、いい思い出もたくさんあった。ゆかちゃんの言う通り、私はここに
来れてよかったと思う。
 そして、ここに来させてくれたのはちよちゃんなんだ。私の思い出は、ちよちゃんが
くれた思い出なんだ。
 ちよちゃんの友達でよかった。今、心からそう思えた。
「ねえ、なんでみるちーは私を一緒に来させようとしたの?」
 校門を出たとき、ゆかちゃんがそんなことを聞いてきた。その質問は、ちょっと
答えに困る。少し考えてから私は言った。
「誰かが一緒じゃないとくじけそうだったからかな。やっぱりごめんね、こんな無茶に
つきあわせちゃって」
 自分で決めておきながら人が一緒じゃないと嫌。まるっきり子供じゃないか、私は。
「謝ることないってば。さっきも言ったけど、誘いに乗ったのは私自身の意志。それに、
私も似たようなものだから」
「似たようなものって?」
「なんでその無茶に私がつきあったと思う?」
「そんなこと聞かれても……」
 ゆかちゃんははにかんでこっちを見ている。何かを期待されてるような感じだけど、
それに答えられそうにはない。
「みるちーがちよちゃんのことを気になってしょうがなかったように、私にも気になって
しょうがない人がいたの」
 さっきまでの笑顔とは一転、すねたような感じ言うゆかちゃんがなんだか可愛い。
 ……ああそうか、そうだったんだ。
 ここに至って、やっと気づいた。こんなに近くに私とずっと一緒にいたいと思って
くれる人がいる。ちよちゃんのことばかり考えていた私にはわからなくて当然だった。
なんだか今までゆかちゃんに悪いことをしていた気持ちになる。
 ふと見上げるとまだ日は高く、晴れやかでとても爽やかな空だった。
「ねえ、どっか遊びにいこっか」
「うん」
 手を差し出すと、ゆかちゃんはすぐに手をつないでくれた。さっきと同じ、温かくて
柔らかい手。この手を握っているとすごく安心できて、ずっとつないでいたいって思う。
 私たちは大丈夫。ゆかり先生はそう言ってくれた。それでも離れるのはちょっと辛いから、
ゆかちゃんとはずっと一緒にいよう。
 空からは春の日差しの温もり、右手にはゆかちゃんの手の温もり、心にはちよちゃんが
くれた思い出の温もり。今、とても幸せな気分だ。

−終わり−

 

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