341 :かおりんの憂鬱 :2010/11/02(火) 19:03:26 ID:MGwgN8wd
それは果たして何だったのであろうか。
そしていつ彼女の心に住み着いたのだろうか。確かなことは、それはきっと一瞬の、そして突然の出来事だったに違いないという事だけである。

 それはどす黒い思念の塊であった。

 それは実体を持たず、幽かに虚空をたゆたう思念の塊であった。
それは人が「霊」と呼ぶものだったのかも知れないし、或いは全く別の存在だったのかも知れない。
それは人の心の奥底に潜む暗い願望を実現するものだった。それは彼女の奥底にわだかまって禍々しく胎動していた。


 そのとき、かおりは別れに胸を傷めていた。時は天の漸く透き通っていく頃、山際の稜線を、早過ぎる華がぼつぼつと緑に染みをこぼしながら、咲き誇るように狂い咲いていた頃だった。

「四月で卒業する」

 私はこの四月で卒業を。この学校を。つまり。

 平生は面に出さないで、三年来の友人ともそつなく会話し、笑顔も見せて、だがその笑顔の奥底に張り付いた感情はもっとぞっとするほど冷え切った、
そしてどろどろと渦を巻くだったものだった。

「榊 さ ん と 離 れ ば な れ に な っ て し ま う」

嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ絶対嫌だ!
榊さんと離れたたくなんかない。ずっと一緒にいたい。ずっと私の側にいて、榊さん。私を捨てないで。見捨てないでください。遠くに行かないで。私だけのものでいて。

 それは人の心の奥底に潜む昏い願望を実現するもの

 それは桜の木の下に埋まる伝説の正体だったのかも知れないし、彼女がふと墓場を通り過ぎたとき取り憑いてしまった、
この世への妄執を捨てきれない魂魄の成れの果てであったのかもしれない。それは相応しい形容を見つけるならまさしく――“狂気”であった。
342 :かおりんの憂鬱 :2010/11/02(火) 19:04:56 ID:MGwgN8wd
自宅に招きたいというかおりの申し出を承けたときは、一瞬戸惑ったものだった。彼女とは一応「友達」といえる程度の付き合いはあるし、別に避けている訳でもなかった。
だが、逆に言えば、それほど深い間柄であるのでもなし、事実、クラスが別々になってからはそれほど往来はなかったのだ。そんな中、人見知りの人よりずっと強い榊が
「かおりん」ことかおりの催す夕餉に呼ばれることになったという。

「神楽も来る」

そう聞いたからだった。他に取り立てて理由もなく、後は既に進路の確定した自分は時間の都合がついたからというだけのことだった。
他に何があるだろう?それがどれほど“彼女”を傷つけるかも知らないで……。

「榊さん、ようこそ!」

インターホンを押すなり、すぐに「かおりん」は出てきた。その表情はやや赤らんで満面の喜びを湛え、
いつもの榊を歓待する笑顔にしか見えなかった。かおりんはやや派手な真っ赤なワンピースにロングスカートという出で立ちで、扉を推し開いて榊を迎え入れた。

「お邪魔します」
小綺麗な玄関からダイニングに通されて、榊は猫のような目でさっと部屋を舐めた。

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